大河ドラマ「光る君へ」‐32
~基礎情報学習帳:誰のために書く~
NHKの大河ドラ「光る君へ」は「源氏物語」の作者・紫式部が主人公の物語です。これまでの大河ドラマでの見どころは合戦シーンでしたが、この「光る君へ」では平安朝の宮廷が舞台。煌びやか平安時代の貴族社会を描きます。
誰もが知る「源氏物語」を書いた紫式部の誰もが知らない愛と情熱の物語でもあります。
今回も「NHK大河ドラマ・ガイドの後編」を主に使います。またWikipediaなどネット情報も使います。
まずは粗筋の紹介です。
<第32回・粗筋・・・>
今回は、藤原道長の思惑どおり、一条天皇は、まひろが書いた物語に興味を示す。そこで道長は、まひろに道長の娘・彰子が暮らす藤壺へあがり、女房として働きながら執筆することを提案。狙いは、一条天皇が物語の続きを読むため、藤壺へ来ることを増やし、彰子との仲を深めるきっかけにすることだ。まひろは道長の提案に戸惑うが、まひろの父・為時に背中を押され…という展開です。
<『光る君へ』の登場人物>
この大河ドラマの人物紹介では、藤原名が多いため分かりやすくする為に、ドラマの登場人物を複数回紹介します。
<一条天皇・・・>
※
塩野瑛久さんが演じる一条天皇は、 円融天皇の第一皇子で母は藤原兼家の娘詮子。兼家らの陰謀により花山天皇が退位した後、七歳にして践祚。同時に当時十一歳だった花山天皇の異母弟居貞親王のちの三条天皇が皇太子となり、外祖父で右大臣の藤原兼家が摂政なりました。一条天皇と藤原道長の関係は良好で、在位中は宮廷文化の花が咲き誇り、一条天皇は「寛弘の聖主」と称されるほどでした。
<藤原伊周・・・>
三浦翔平さんが演じる藤原伊周は、藤原道隆の嫡男で道隆の死後、その地位の後継を狙うが執政権は、道長に移りました。不満をくすぶらせる中で花山院を襲う事件を起こし、大宰府に左遷されました。のちに許されて帰京。復権を目指して策を練っていました。
<藤原隆家・・・>
竜星涼さんが演じる藤原隆家は、兄・伊周と共に不祥事を起こし出雲に左遷されます。のちに許されて復職。眼病を患うと名医いる大宰府に赴任しました。大宰権帥(ごんのそち)として大陸から来襲した刀伊と対峙します。
<安倍晴明・・・>
ユースケ・サンタマリアさんが演じる安倍晴明は、陰陽道や天文道に通じ、天皇や貴族のために占いや祈祷を行いました。時には呪詛を行いました。台頭を見抜いていた藤原道長にその長女・藤原彰子の入内を進言するなど、政局にも多大な影響を及ぼしました。しかし寛弘2年(1005)9月26日に安倍晴明は自ら予言したとうりに亡くなりました。
<須麻流・・・>
DAIKIさんが演じる須麻流は、安倍晴明の人知を超えた能力に畏敬の念を抱き助手として使えます。京が深刻な干ばつに見舞われた際は、道長より雨乞いされた安倍晴明と共に雨乞いの祈祷に身を捧げました。
<藤原彰子・・・>
見上愛さんが演じる藤原彰子は、12歳で一条天皇に入内。翌年に中宮になります。皇后となった藤原定子の没後、その皇子を産みます。女房になったまひろに学び、教養を育みました。
<居貞親王・・・>
木村 達成(きむら・たつなり)さんが演じる居貞(いやさだ)親王は、冷泉天皇の皇子。いとこの一条天皇よりも四歳年長でありながら、その東宮(皇太子)として二十年以上を過ごしました。叔父である道長の次女・妍子(きよこ)を妃に迎えるのです。
<赤添衛門・・・>
凰稀かなめさんが演じる赤添衛門は、歌作に秀でて源雅信邸に出仕し、その娘・源倫子の教育係を務めました。道長と倫子の長女・彰子が一条天皇に入内すると彰子のもとに出仕し、書や和歌などを教えました。
<裳着の儀‐解説1>
裳着の儀は、平安時代から安土桃山時代にかけて、女子が成人したことを一族および他氏に対して示すことを目的として行われた通過儀礼。
通説では初潮を迎えた後の10代前半の女子が対象とされている。成人したものとして当該の女子に初めて裳を着せる式で、裳着を済ませることで結婚などが許可された。女子に裳を着せる役は腰結(こしゆい)と称され、徳望のある者から選ばれた。日取りは吉日が選ばれ、裳の腰紐を結び、髪上げをするほか、「鉄漿親」(かねおや)の立ち会いのもと、女子は初めてお歯黒を付け、眉を剃り、厚化粧をして殿上眉を描いた引眉。これ以降、裳着を済ませた者は、小袖は白を、袴は緋を着ることとされた。江戸時代以降、武家と庶民において女性の成人儀礼は男性同様に元服と称し、実施年齢も18歳から20歳ぐらいに引き上げられ、または結婚と同時に行うようになった。
<陣定‐解説2>
Wikipediaより
【陣定(じんのさだめ)は、平安時代摂関期の朝議である定(議定)のうち、左右近衛府の陣にて行うものを指す。
定とは公卿が行う審議(およびその決定)を指し、重要な議題について天皇が審議を命じた。その内容を奏文に作り上申され決裁を受け施行された。上卿により主宰され、公卿の座を設定し、大臣以下の公卿と四位の参議以上の議政官が出席し、重要な政務(外交・財政・叙位・受領任命・改元など)を審議した。後には実質上、政策決定の場となった。陣座(じんのざ)又は杖座(じょうざ)と呼称された。】とWikipediaに記載されていました。
<藤壺‐解説3>
以下はWikipedia ・・・
【藤壺(ふじつぼ)は、皇妃の便宜上の名称。そもそも藤壺とは平安御所後宮の七殿五舎のうちの一つ飛香舎の別名であり、転じて飛香舎を賜った皇妃の呼称ともなる。代表的な例として、光源氏を主人公とする『源氏物語』に以下の3人が登場する他、『うつほ物語』のあて宮などが知られる。★桐壺帝の中宮、冷泉帝の母。★朱雀帝の女御、女三宮の母。1の異母妹。★今上帝の女御、女二宮の母。】とWikipediaに解説がありました。
<31回視聴率>
NHK大河ドラマ「光る君へ」第31回「月の下で」が、8月18日に放送され平均世帯視聴率が関東地区で10・3%だったことが19日、ビデオリサーチの調べで分かりました。前週の第30回も10・3%で横ばいの数字でした。第31回「月の下で」の粗筋は、ある日突然、藤原道長がまひろを訪ねてくる。道長はまひろに、一条天皇に入内(じゅだい)するも、相手にされず寂しく暮らす娘・彰子を慰めるために物語を書いてほしいと頼み込む。しかし、真の目的は…。一方、宮中では年下の斉信に出世で先をこされた公任が参内しなくなってしまった。事態を案じた斉信が公任の屋敷を訪ねてみると、思いがけない人物と遭遇する…と言うストーリーでした。
<平安案内>
奈良県桜井市初瀬(はせ)にある長谷寺(はせでら)は、真言宗豊山派の総本山の寺院。山号は豊山(ぶさん)。院号は神楽院(かぐらいん)。本尊は、十一面観世音菩薩。開山は道明とされる。西国三十三所第8番札所。寺紋は輪違い紋。
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記:2024年8月30日
江戸探偵人
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NHKの大河ドラ「光る君へ」は「源氏物語」の作者・紫式部が主人公の物語です。これまでの大河ドラマでの見どころは合戦シーンでしたが、この「光る君へ」では平安朝の宮廷が舞台。煌びやか平安時代の貴族社会を描きます。
誰もが知る「源氏物語」を書いた紫式部の誰もが知らない愛と情熱の物語でもあります。
今回も「NHK大河ドラマ・ガイドの後編」を主に使います。またWikipediaなどネット情報も使います。
まずは粗筋の紹介です。
<第32回・粗筋・・・>
今回は、藤原道長の思惑どおり、一条天皇は、まひろが書いた物語に興味を示す。そこで道長は、まひろに道長の娘・彰子が暮らす藤壺へあがり、女房として働きながら執筆することを提案。狙いは、一条天皇が物語の続きを読むため、藤壺へ来ることを増やし、彰子との仲を深めるきっかけにすることだ。まひろは道長の提案に戸惑うが、まひろの父・為時に背中を押され…という展開です。
<『光る君へ』の登場人物>
この大河ドラマの人物紹介では、藤原名が多いため分かりやすくする為に、ドラマの登場人物を複数回紹介します。
<一条天皇・・・>
※
塩野瑛久さんが演じる一条天皇は、 円融天皇の第一皇子で母は藤原兼家の娘詮子。兼家らの陰謀により花山天皇が退位した後、七歳にして践祚。同時に当時十一歳だった花山天皇の異母弟居貞親王のちの三条天皇が皇太子となり、外祖父で右大臣の藤原兼家が摂政なりました。一条天皇と藤原道長の関係は良好で、在位中は宮廷文化の花が咲き誇り、一条天皇は「寛弘の聖主」と称されるほどでした。
<藤原伊周・・・>
三浦翔平さんが演じる藤原伊周は、藤原道隆の嫡男で道隆の死後、その地位の後継を狙うが執政権は、道長に移りました。不満をくすぶらせる中で花山院を襲う事件を起こし、大宰府に左遷されました。のちに許されて帰京。復権を目指して策を練っていました。
<藤原隆家・・・>
竜星涼さんが演じる藤原隆家は、兄・伊周と共に不祥事を起こし出雲に左遷されます。のちに許されて復職。眼病を患うと名医いる大宰府に赴任しました。大宰権帥(ごんのそち)として大陸から来襲した刀伊と対峙します。
<安倍晴明・・・>
ユースケ・サンタマリアさんが演じる安倍晴明は、陰陽道や天文道に通じ、天皇や貴族のために占いや祈祷を行いました。時には呪詛を行いました。台頭を見抜いていた藤原道長にその長女・藤原彰子の入内を進言するなど、政局にも多大な影響を及ぼしました。しかし寛弘2年(1005)9月26日に安倍晴明は自ら予言したとうりに亡くなりました。
<須麻流・・・>
DAIKIさんが演じる須麻流は、安倍晴明の人知を超えた能力に畏敬の念を抱き助手として使えます。京が深刻な干ばつに見舞われた際は、道長より雨乞いされた安倍晴明と共に雨乞いの祈祷に身を捧げました。
<藤原彰子・・・>
見上愛さんが演じる藤原彰子は、12歳で一条天皇に入内。翌年に中宮になります。皇后となった藤原定子の没後、その皇子を産みます。女房になったまひろに学び、教養を育みました。
<居貞親王・・・>
木村 達成(きむら・たつなり)さんが演じる居貞(いやさだ)親王は、冷泉天皇の皇子。いとこの一条天皇よりも四歳年長でありながら、その東宮(皇太子)として二十年以上を過ごしました。叔父である道長の次女・妍子(きよこ)を妃に迎えるのです。
<赤添衛門・・・>
凰稀かなめさんが演じる赤添衛門は、歌作に秀でて源雅信邸に出仕し、その娘・源倫子の教育係を務めました。道長と倫子の長女・彰子が一条天皇に入内すると彰子のもとに出仕し、書や和歌などを教えました。
<裳着の儀‐解説1>
裳着の儀は、平安時代から安土桃山時代にかけて、女子が成人したことを一族および他氏に対して示すことを目的として行われた通過儀礼。
通説では初潮を迎えた後の10代前半の女子が対象とされている。成人したものとして当該の女子に初めて裳を着せる式で、裳着を済ませることで結婚などが許可された。女子に裳を着せる役は腰結(こしゆい)と称され、徳望のある者から選ばれた。日取りは吉日が選ばれ、裳の腰紐を結び、髪上げをするほか、「鉄漿親」(かねおや)の立ち会いのもと、女子は初めてお歯黒を付け、眉を剃り、厚化粧をして殿上眉を描いた引眉。これ以降、裳着を済ませた者は、小袖は白を、袴は緋を着ることとされた。江戸時代以降、武家と庶民において女性の成人儀礼は男性同様に元服と称し、実施年齢も18歳から20歳ぐらいに引き上げられ、または結婚と同時に行うようになった。
<陣定‐解説2>
Wikipediaより
【陣定(じんのさだめ)は、平安時代摂関期の朝議である定(議定)のうち、左右近衛府の陣にて行うものを指す。
定とは公卿が行う審議(およびその決定)を指し、重要な議題について天皇が審議を命じた。その内容を奏文に作り上申され決裁を受け施行された。上卿により主宰され、公卿の座を設定し、大臣以下の公卿と四位の参議以上の議政官が出席し、重要な政務(外交・財政・叙位・受領任命・改元など)を審議した。後には実質上、政策決定の場となった。陣座(じんのざ)又は杖座(じょうざ)と呼称された。】とWikipediaに記載されていました。
<藤壺‐解説3>
以下はWikipedia ・・・
【藤壺(ふじつぼ)は、皇妃の便宜上の名称。そもそも藤壺とは平安御所後宮の七殿五舎のうちの一つ飛香舎の別名であり、転じて飛香舎を賜った皇妃の呼称ともなる。代表的な例として、光源氏を主人公とする『源氏物語』に以下の3人が登場する他、『うつほ物語』のあて宮などが知られる。★桐壺帝の中宮、冷泉帝の母。★朱雀帝の女御、女三宮の母。1の異母妹。★今上帝の女御、女二宮の母。】とWikipediaに解説がありました。
<31回視聴率>
NHK大河ドラマ「光る君へ」第31回「月の下で」が、8月18日に放送され平均世帯視聴率が関東地区で10・3%だったことが19日、ビデオリサーチの調べで分かりました。前週の第30回も10・3%で横ばいの数字でした。第31回「月の下で」の粗筋は、ある日突然、藤原道長がまひろを訪ねてくる。道長はまひろに、一条天皇に入内(じゅだい)するも、相手にされず寂しく暮らす娘・彰子を慰めるために物語を書いてほしいと頼み込む。しかし、真の目的は…。一方、宮中では年下の斉信に出世で先をこされた公任が参内しなくなってしまった。事態を案じた斉信が公任の屋敷を訪ねてみると、思いがけない人物と遭遇する…と言うストーリーでした。
<平安案内>
奈良県桜井市初瀬(はせ)にある長谷寺(はせでら)は、真言宗豊山派の総本山の寺院。山号は豊山(ぶさん)。院号は神楽院(かぐらいん)。本尊は、十一面観世音菩薩。開山は道明とされる。西国三十三所第8番札所。寺紋は輪違い紋。
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記:2024年8月30日
江戸探偵人
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