日本滞在中、清水エスパルスの公式戦全てのホームゲームをスタジアム観戦したオーストラリア人
SNSの”X (旧Twitter)”にてオーストラリア人の清水エスパルス・サポーター、マイク・タッカーマン氏(Mr.Mike Tuckerman/以下マイク)とやり取りをするようになった。
<マイクの”X”投稿>
“Sydney FC’s entertaining 3-1 win over Brisbane Roar in the Australia Cup Final was yet another reminder that what happens on the pitch is the best advertisement for football in Australia,” via @TheRoarSports #AustraliaCup #ALeague
— Mike Tuckerman (@Mike_Tuckerman) October 8, 2023
そのやりとりの中で、マイクが2010年〜2011年にかけて清水エスパルスでプレーしたエディー・ボスナーで知り合いだったことなどを知り、色々詳しく話を聞いてみたいと思い、”X”のスペース機能で話を聞いてみることにした。
話を聞いてみたら、マイクは、日本滞在の約3年間、リーグ戦、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)、天皇杯のすべてのホーム戦をスタジアム観戦したなど自分の想像以上に熱く清水エスパルスを応援する男だった。
以下にてその会話の内容を紹介したい。
<“スペース”のリンク。会話は英語>
— Diario Japonés – ディアリオ・ハポネス (@sakagogablog) October 4, 2023
オーストラリア人マイク:
今、自分はオーストラリアで生活をしているけど、以前日本に3年くらい住んでいたんだ。
自分は2006年の夏に日本に引っ越した。
最初に見たのはホームでの清水エスパルスvsヴァンフォーレ甲府だった。
清水が4-0で勝ったんだ。
あの当時の監督は長谷川健太監督で素晴らしいチームだった。藤本淳吾や兵働昭弘なんかがいてとても素晴らしいチームだった。
今、言ったように8月(19日)の甲府戦が最初に行った試合だった。そして、それ以降、オーストラリアに戻るまで、清水のホームゲームを見逃したことはない。
自分が日本に住んでいる間、文字通りホームの試合は全てスタジアムで見た。リーグ戦、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)、天皇杯、全試合を日本平スタジアムで見た。また、アウェイの試合にも行った。
マイク:
そうだね。日本平スタジアムのすぐ近くに住んでた。
スタジアムまでワンブロック…とまではいかないけど、数ブロックという近い距離に住んでた。
マイク:
当時の妻(今は別れている)が、日本でALT(Assistant Language Teacher学校に派遣される外国人の英語教師)として働けるよう、日本政府が主催するJETプログラム(外国語青年招致事業)に申し込んだ。
その申込手続きの一環として、オーストラリアのシドニーにある日本大使館での面接があった。
自分は、妻と結婚していたわけだし、当然一緒に日本で生活したかった。
そういうわけで、自分と妻は日本大使館で面接を受けた。
その際、面接官に「日本の生活で、何かリクエストがありますか?」と質問された。
自分は日本に行ったこともなかったし、日本について何も知らなかった。
けど、「何かリクエストは?」と質問されたとき、自分が唯一出したリクエスト、それは「J1クラブの近くに住みたい」ということだった。
そしたら、妻がALTとして採用され、赴任地が清水になった。なので、自分を清水に送ったのは日本政府なんだ。とても素晴らしい決定だったと思う。
マイク:
自分もそう思う。
自分と妻の行き先は大阪や神戸だってありえた。
けど、日本政府の担当者は、自分の意図を汲み取り、日本のサッカーの歴史、清水エスパルスの歴史、サッカーに対する清水の文化を踏まえた上で自分達を清水に送ったんだと思う。
なので、日本政府には本当に感謝してるんだ。
マイク:
本当にそうだよね。
とにかく、そんな流れで、自分は2006年シーズンの残りの全ての試合、そしてその次の2年はフルシーズンを見たことになる。
清水の2006年シーズンは本当に素晴らしかった。自分のお気に入りの選手は伊東テル(伊東輝悦)だった。
また、色々な縁があり、自分は矢島卓郎のお母さんとも知り合いになった。
自分が日本人でいちばんのお気に入りは、のちに清水を去ることになるけれど、藤本淳吾だった。彼はファンタスティックなプレーヤーだった。
自分は清水に送られたこと、そしてあの頃の清水がとても良かったということで、とてもラッキーだったと思う。長谷川健太監督のもと、良いチームが形成されていた。
君もスタジアムにいたと思うけど、2008年ナビスコの決勝の大分戦…あれで僕らは負けたんだ。
あれが日本にいる間で、最大の失望だったかもしれない。
あの時の大分の監督はペリクレス・シャムスカだった。また、ウェズレイとか何人かのブラジル人がいた。あの試合の大分は優れていたし、優勝に値したと思う。
けど、自分にとってはフラストレーションのたまる体験だった。
さっきも言った通り、自分は全てのホームゲームを見るなど多くの清水の試合を見たけど、あの決勝のことは特によく覚えている。
けど、あの時代に清水エスパルスを見れたことは、自分のフットボール経験の中で、最高な経験の一つだよ。
ゴトビが監督する就任前には、既にオーストラリアに帰国していたんだ。日本を去るタイミングとしては良くなかった。
だって、ゴトビが新監督になった2011年に、オーストラリア人のアレックス・ブロスケが清水に入ったんだ(2011年〜2012年にかけてアレックスは清水でプレー)。アレックスのプレーを日本で見れなかったのは残念だ。
ブログ主追記:
マイクはオーストラリアに帰国後も、定期的に日本を訪問し、清水エスパルスの試合をスタジアムで観戦している。
そう、自分はアレックスの従兄弟(いとこ)とは同じ学校に通い知り合いだった。けど、アレックスとの面識はない。
ちなみに、アレックスって確か、ウルグアイ系のオーストラリア人だよね。
そう、アレックスはウルグアイ系だ。
実は…清水エスパルスから、アレックスに関して意見を求められた。
どこまで話して良いかわからないけど…清水エスパルスのクラブ関係者から外国人選手として推薦できる選手に関し意見を求められた。
そこで自分はオーストラリア人が良いと言った。なぜなら、当時のオーストラリア人の年棒は全体的にそこまで高くかった。しかしその一方、オーストラリア人は手を抜かずハードワークする選手が多いからね。
そこで清水エスパルスは、具体的な名前を聞いてきた。
そこで、自分は何人かの名前を上げ、その一人がアレックスだった。
彼は自分が応援するシドニーFCでプレーをしていた。彼はシドニーFC史上最高の選手と言ってもい存在なんだ。
さらにいうと、アレックスの前には、清水からエディ・ボスナーに関する意見も求められ、自分は清水に自分の考えを伝えた。
アレックスやボスナーといったオーストラリア人の活躍があったから、それがのちに、オーストラリア人ミッチェル・デュークとの契約にもつながったと思う。
また、アレックスに関していうと、彼の活躍はゴトビが監督だったことも大きいと思う。
自分もその考えに同意するよ。ゴトビは今までと違った独自のフットボールを見せたけど、アレックスはゴドビのフットボールに適した選手だったと思う。
ところで、エディ・ボスナーのことも清水に意見を求められたと聞いたけど、その話も聞かせてよ
思うに当時の清水はジェフユナイテッド千葉でプレーしていたエディ・ボスナーに興味があった。
そして清水は、エディ・ボスナーと自分に交流があるのを知っていた。
そんなこともあり、自分はクラブからエディ(ボスナー)の性格なども含め意見を求められ、自分は「エディー獲得はいい考えだと思う」とクラブに伝えた。
けれど、清水エスパルスが、自分だけの意見を持ってオーストラリア人選手獲得を決めたとは思わない。
清水エスパルスの関係者は、彼ら自身で、新規獲得候補の選手に関し色々調査や分析をしていて、その中で自分も意見を求められたってことだと思う。
自分が思うに、エディ・ボスナーも清水で良い仕事をしたと思うよ。
君がエディ・ボスナーと友達になるようになったきっかけは?
自分はエディ・ボスナーが好きだった。ディフェンダーとして計算できる戦力で、しかもフリーキックでの得点も期待できた。それだけに、彼が韓国に行ってしまったときには、悲しくなったよ。
実を言うと、エディとの始まりは友好的なものでなかった。
自分はフットボール・ライターとして活動していて、エディーについても書いたんだ。
だけど、エディーは自分が記事で書いたことに同意できないと言って、自分に反論をしてきた。
そういうことから、自分とエディーの間でやりとりが始まり、その後、最終的に自分たちは仲良くなったんだ。
自分は日本のフットボールを知っていたから、清水エスパルスに合った選手に関してアイデアがあったし、清水に「クリスティアーノ・ロナウドと契約しろ」とかわかりやすいスターの獲得を提案するタイプではない。
チームに現実的に合った選手を提案するタイプだ。
エディーに話を戻すと、そういうわけで自分はエディは清水にとって良いと思ったし、のちに彼が韓国に行ったことを喜ばしく思った。韓国でのプレーも彼のキャリアにとって素晴らしい経験の一部になったからね。
いや、自分はそうではない。日本で安定した収入がある妻の配偶者として来日し、どこかに勤め先があったとかではない。けど、来日後すぐに仕事もみつかったし、フットボールのライターとして活動をした。
そうだね。今もコラムや記事を書いたりしている。
もう15年以上になるかな。今ではそれなりに知ってくれている人もいるけれど、実は自分のライターとしてのはじまりは、日本のフットボールについて書くということだったんだ。
幸いなことに、多くの人が日本のフットボールについて英語で書かれた記事に興味を示してくれた。
日本でメディア・エージェンシーにも所属し、記事を書く仕事を得ることができたんだ。
なるほど。君はフットボールが好きで、日本に住み、日本のフットボールをしっかり見て、英語で記事をかける。英語で日本のフットボールの情報を求める人にとって、君はパーフェクトな条件を満たしているよね。
そういうわけで、君は当時ジェフユナイテッドに所属していたエディ・ボスナーについて記事を書き、エディ・ボスナーはその内容に同意せず、君に物申してきたところから、交流が始まったってことだよね?
君の理解は正しいよ(笑)。
ところで、自分が日本に行ってから、本当に多くの人たちに助けてもらった。自分はそれまで日本に行ったこともなかったし、日本語も話せなかった。
あと、自分は日本に住む以前に、ドイツに住んだこともあったんだ。外国に住むという意味で、ドイツの経験も役にたった。
ドイツでもフットボールにたくさん触れた。あれが、自分がオーストラリア以外のフットボールを熱心に見るようになるきっかけだった。
ドイツに滞在したのは、自分が17歳のときで15ヶ月くらい。
その経験(外国に住む)経験がすでにあったから、日本ではそこまで難しさは感じなかった。
そしてドイツでも、とにかくできる限りフットボールの試合を見たかった。
自分はケルンに住んでいた。
とてもすばらしい街だよ。ケルンには日本人が多く住んでいたし、そこから更に北に行ったデュッセルドルフにもたくさんの日本人がいた。ドイツでもたくさんの試合を見た。
ドイツでは、2002年から2003年にかけ京都サンガF.C.そして、浦和レッズでプレーした元オーストラリア代表ネッド(ネディエリコ)・ゼリッチと知り合い、友達になったんだ。
(ゼリッチはドルトムントやフランクフルト、1860ミュンヘンでプレーした)
ネッド(ゼリッチ)は日本のフットボールに好印象を持っていたよ。彼は、オーストラリア代表としての出場試合数は少ないけれど、オーストラリアでは伝説的な選手なんだ。
彼はドイツのフットボールも愛していた。ドルトムントやフランクフルトでプレーしたしね。
ってことは、ケルンの試合をよく見てたの?
いい質問だね。
実は、ケルンに住んでたけど、応援していたのはドルトムントなんだ。
ゼリッチの影響でね。
自分がドイツにいる間に、ゼリッチはチームを変わったけれど、彼がはじめにプレーしたのはドルトムントだったから、自分はドルトムントを応援するようになった。
フットボールは好きだったけれど、90年代はオーストラリアにはプロリーグはなかった。Aリーグは比較的新しいリーグなんだ。
実は、自分は三浦知良と静岡で一緒にコーヒーを飲んだことがあるんだ。
うん。
知り合いに静岡の喫茶店に行こうと誘われたら、そこに三浦知良がいた。
そして、一緒に喫茶店に行った人が自分にカズを紹介してくれて話をした。
彼はシドニーFCでの経験はとても良かったと言っていたよ。彼はオーストラリアでとても愛されていたんだ。Aリーグがかかえた最高のスターの一人だ。
たしかに。そう思うよね。
自分はさっき言ったように(2006年の)8月に日本に引っ越した。
そしてエスパルスvsヴァンフォーレ甲府のチケットを買うために、ファミリーマートに行ったんだ。そして、そこで、大変な思いをした。
清水エスパルスのチケットが買いたかったものの、何をどうしていいか分からず悪戦苦闘していた。
そしてたら幸いなことに、後ろに並んでいた女性が、自分が清水エスパルスと何度もいうのを聞き、チケット購入のための手助けをしてくれて、やっとの思いでチケットを買うことができた。
けれど、思った。
自分一人でチケットを買うのは難しいぞ。こんなことを毎回できないだろうって。
わかるかい?試合に行きたい。そのたびに、コンビニに行って、日本語ができない自分がチケットを買うことはきついと思ったんだ。
そこで自分はエスパルスに手紙を送った。
清水エスパルスの住所を調べ、英語で手紙を書き、そこに自分のEメールアドレスを記載した。「チケットのことで相談したいことがあるんです。どうか、私に連絡をいただけないでしょうか?」って。
すると一週間後くらいに清水エスパルスからEメールが届いた。
そのメールの送り主が「静岡市内で一度お会いさせてもらえますか?」と書いてくれたので、自分は「もちろんです」と返信した。
そういうわけで、自分は清水エスパルスの人と静岡市内の喫茶店で打ち合わせをすることになった。
それが自分の清水エスパルスの人との最初のコンタクトだった。
そこで自分は申し入れた。「全部の試合を見たいから、シーズンチケットを買えませんか?」って。そうしたら、クラブの人はシーズンチケット(その年の残りの試合が見れるチケット)を手配してくれた。
その人はきっと、自分が清水エスパルスを応援したいという気持ちは本物なんだと感じてくれたんだと思う。自分はすべての試合を見に行くと強く宣言したしね。
そして、そういうやりとりのなかで、その清水エスパルスで働く人と友達のようになった。
また、クラブスタッフの人以外、サポーターとの交流だと、こういうこともあった。
スタジアムに試合を見に行って、自分の前のあたりでフラッグを掲げているサポーターがいた。
そこで、一人の人が自分に対し、「すいません。フラッグを掲出したいんです。少し動いてもらっていいですかって?」と言ってきた。
そして自分は問題ないことを伝えて、少し動いた。
彼と自分、お互い感じが悪くならないように礼儀正しいやり取りが行われた。そこから自分に声をかけた彼とも仲良くなった。
彼はアメリカの大学に留学していたから英語も話せた。そういうわけで、自分は彼と仲のよい友だちになった。
彼らはサポーターグループの一つで、自分もそこに加わった。
彼らが良く集まる居酒屋があって、自分もそこに行くようになた。
最初自分はその応援グループがなんなのかよくわからず、集まりに顔を出すようになったけど、実際のところそれは矢島卓郎の応援団だった。そこで矢島卓郎のお母さんにも会ったんだ。
また、この応援グループに入ったことがきっかけで、アウェイの試合にも行くようになった。埼玉スタジアム、鹿島スタジアム…関東のスタジアムはほとんど行ったと思う。
また、清水の試合を見に行くにつれ、知り合いも増えていった。電車の中でも声をかけられたり。
また、よく行く居酒屋の家族の人たちと仲良くなって、そしたら、その人たちが清水エスパルスのクラブ関係者と知り合いで、クラブの中でも新しい知り合いが増えたんだ。
日本で自分が知り合いになった人たちは、幸いなことにみんなフレンドリーだったんだ。
本当に、色々知り合いが増えていくのは素晴らしい経験だったよ。
残念なことに、まさに今、この時期2023 年9月〜10月、自分は、日本に行って清水の試合を何試合か見る予定だったんだ。けど、諸事情によりキャンセルしないといけなくなった。
それでも、来年は日本に行って清水の試合を見る予定なので、昔の仲間達と会いたいと思う。
自分も以前はオンラインベッティングで見ていた。
けど、2020年ころから公式放送が始まったので、基本それを見てる。
もっともJ1はカバーされているけど、J2は限定的な放送なんだ。
実際にどれだけのオーストラリア人がJリーグを見てるかわからないけど、英語で配信を見れるのは良いと思う。
そうだ。奇妙な質問になるけど、聞いてほしい。
以前、自分が日本平に行くたびに、いつも見かけた外国人サポーターについて話をしたい。
生まれ故郷の静岡を出て、関東に住んでいる自分は、日本平にたまにしか行けないんだ。
けど、そんな自分が静岡に帰省し、日本平にエスパルスを見に行くと高頻度で見かける外国人サポーターがいるんだ。年齢は40代から50代、欧州系の人で、背はそんなに高くなかったと思う。髪の毛は剃り上げた坊主(スキンヘッド)。自分が東海道線に乗ると、いつも彼を見かけた。関東アウェイでもみたことがある。
たとえば、昨年2022年に味の素スタジアムでFC東京戦があって、自分はその試合を見に行ったんだけど、そこでも彼を見た。かなり頻繁に彼を見かけているんだ。
外国人なのに清水を熱心に応援している、あの人といつか話をしてみたいって思うんだけど、心当たりはない?
その人が誰なのか、自分にはわからないな。
ただ、言っている意味はわかるよ。
自分が日本平で清水の試合を見ていた時、自分の近くの席でサンパウロFCのユニフォームを着て応援しているブラジル人を見た。
彼も清水のホームゲームにはほとんど来ていた。
そのブラジル人は清水の試合の流れに合わせ、激しい身振り手振りでプレーや審判の判定に反応していた。自分も、彼と話したことはないけど、気になる存在だったよ(笑)。
また、来年君が日本に来たら、エスパルスについてさらに話がしたいね!
来年是非、日本平で会おう!
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