『田子の浦ゆ うちいでて見れば ましろにそ 不尽のたかねに雪は降りける』
『田子の浦に うちいでて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ』の歌意の違いについてですが,
「田子の浦ゆ」の歌は,山部赤人が奈良時代前期に読んだ「長歌」に「反歌」として添えられたものです。
「田子の浦ゆ」の「ゆ」は上代語で,この場合は通過する場所を示していて「田子の浦を通って開けたところにででみると」という意味となります。
これに対し,百人一首に取り上げる際に定家は「田子の浦に」と直しています。これは「ゆ」という助詞が鎌倉時代には消滅していたため,「田子の浦に」としたということです。この場合は,場所を表していますので,「田子の浦に出てみると」という意味になり,この点で歌意が違ってきます。
また,「ましろにそ(真白にぞ)」を「白妙の」としていますが,口語訳した際,歌意そのものは変わりません。
が,「ましろにそ 不尽のたかねに 雪は降りける」の場合は,「そ(ぞ)~ける」と係り結びが使われており,富士山が真っ白であることを強調している,「ましろに」が「ふりける」を修飾している(連用修飾)のに対し,「白妙の 富士の高嶺に」は「白妙の」という比喩を用い,「白妙の富士の高嶺」という連体修飾になっている点が文法的な違いがあります。
ご参考になれば,幸いです。