心が弱いから実際涙が出ているんでしょう。
けど、それって決して良い事でもないんですよ。
何故泣くかという事を突き詰めてみたらわかりますが、泣くという行為は恐怖を感じたり不安で苦しいとか、色々ありますが、泣いてスッキリしてしまう、要はストレス発散って効果もあるわけですね。
よく涙が出ます、泣いてしまいますと書いている不登校の子とかって、結局は泣いてそこで終わってるでしょう。
自分の今の状況を冷静に見ることができないで、本能的に泣いて誤魔化してしまってるんです。
本人に自覚は全く無いんですね。なんせ本能でやってる事ですから。
人が死んだとかそういう事に関してはいくらでも泣いていいと思います。
変えられない苦しい現実ですから。
そういう涙は人として当たり前のことです。
けど、不登校とか何かしらの問題がある場合、そうじゃないでしょう。
変えようと思えば変えられるかもしれない。
不登校って学校という場で遭難してるようなものですが、山で遭難しました、涙が出ますなんて言ってたら泣いてないで何とかしろよっていうでしょう。
泣いたって何も解決しないし、端から見たらただ哀れみや同情を求めているよう見えてしまう事だってある。
実際そういう側面もあるでしょう。
本人は無自覚に泣いたら許してくれると思ってやってしまっているかもしれない。
しかし、お涙頂戴で同情してくれるのって子供のうちだけだし、それじゃ本人が困るんですよ。
泣いて逃げないで、どうしたいのか、何故泣いてしまうのか、その心の弱さとかとちゃんと向き合わないといけないんです。
しかし、こういう事を説明しても、同情するような回答とか、何の解決にもつながらない回答にだけ感謝する子が多い。
結局他人の同情、憐れみを受けて自分は可哀想な人間だと言い聞かせてるんでしょう。
そしてそのままでいいという回答を求めている。
今の不登校は自分のせいじゃない、自分じゃどうしようもない、これでいいんだと言い聞かせてスッキリしてしまう。
そこもやっぱり心の弱さなんでしょうね。
そういう思考だから不登校にもなってしまうし、解決もしません。
涙が出るにしても、その涙をやる気に変えるとかしたらいいのに、そういう思考が出来ないんです。
結局のところ、やっぱり本人の人間性の問題というわけですね。
そういう子に対して一生懸命慰めたり過保護に接したって、自分の思考のズレに気が付かないから逆効果だと思います。
しかし何か言ったら虐待だとか言われる時代ですから、正直他人にはどうしようもない気がします。