古事記は天武天皇の命令で作成されました。しかし、魏志倭人伝の卑弥呼や邪馬台国が古事記にはありません。神功皇后はあります。

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お礼日時:1/29 16:48

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質問引用 『700年代には、弥生時代後半から古墳時代には、渡来人が渡ってきたことは充分に分かっていたはずです』 、、、いい指摘です。 渡来人又は渡来人の子や孫やひ孫なら、自分のじいさんなりご先祖は渡来人じゃあと自慢して石碑やら文書に書き残すはずです。 そんな古文書や石碑などの遺物は皆無です。 つまり、渡来人の存在が証明できません。まったくゼロだったとは言いませんが、日本人の先祖は渡来人だと言う俗説には証拠がありません。

卑弥呼や邪馬台国だけではありませんね。 倭の五王もなんなら遣隋使のくだりも中国史書とは合致していません。 どこの国々でもよくあることですがとくに古代においてはお互いの史書が合致しないなどはよくあることです。どちらにも自国の都合があります。国名、人名などそもそも合致しないものです。当時の日本列島の人達は自分達が倭人で倭国だとは思っていません。中世にヨーロッパからジパングだと呼ばれていると知ったのもだいぶあと。 神話は自国を大きく見せるために長くしたり盛ることなど万国共通です。

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古事記が編纂された背景には、当時の天皇家の権威を高めようとする政治的意図があったと考えられています。 ・神話の部分は、天皇家の祖先が神々から始まったという系譜を示すことで、天皇家の権威付けを目的としていました。 ・一方で、卑弥呼や邪馬台国については、天皇家の権威とは直接関係がないため、記載されませんでした。 ・また、古事記は神話と歴史の両方を含む体裁となっていますが、神話の部分は空想の産物であり、歴史的事実とは異なります。 ・しかし、当時の人々は神話を単なる空想ではなく、天皇家の由緒を示す重要な物語と捉えていたため、国史の一部として記録されたと考えられます。 つまり、古事記の編纂には、天皇家の権威付けと正統性の主張という政治的意図が強く働いていたと言えます。

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古事記は天武天皇の命令で編纂され、天皇の正当性を示すために神話的要素が多く含まれています。卑弥呼や邪馬台国が記載されていない理由として、当時の政治的意図や天皇の系譜を強調するために、神話を用いて歴史を構築した可能性があります。神功皇后が登場するのは、卑弥呼を暗示する意図があったとも考えられます。記紀は、天皇の血統を正当化するために過去の出来事を創作し、歴史を偽装した可能性が高いです。魏志倭人伝は信頼性の高い歴史書であり、古事記とは異なり、実際の歴史を反映していると評価されています。

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