共通テストの国語(第1問評論文)に分からない問題がありました。 選択肢の②と⑤で迷い、正解は⑤でした。
共通テストの国語(第1問評論文)に分からない問題がありました。 選択肢の②と⑤で迷い、正解は⑤でした。 本文中の最後に「少数の人々の自律が犠牲にされることを肯定する上ではそれに釣り合うだけの倫理的な正当化が必要だということである。」という②と同じ意味の文があったのですが、なぜ②ではいけないのでしょうか? 本文と問題文です↓ 本人の利益になる行為を相手の同意抜きに強制することを「パターナリズム」と呼ぶが、現代社会は無限のパターナリズムを許容しない。もちろん一切のパターナリズムが拒否されるわけではない。しかし自律の侵害を安易に受け入れることもできない。したがってここで私たちは、「有効な介入」を「個人の自律」とバランスさせるというステップを必ず踏まなければならない。 これは医療の文脈のみならず他の領域にも当てはまることであり、公衆衛生についても同様である。 そして、B【このようなパターナリズムと自律の問題は、医療よりも公来衛生においていっそう先鋭化する。】先に見たように公衆衛生は市民全体の健康を対象とする。しかし介入対象はあくまで個々人である。したがってここに、多数のために少数が犠牲にされてしまう危険性が構造的に存在することになる。もし少数の人々に深い権利侵害をなしたとしても、それによって社会全体の健康が大きく増すなら、「市民全体の健康を守る」という目標をただ有効性の観点から考えた場合には望ましいものとなってしまう。このロジックは場合によっては危険なものとなる。それによって少数の個人の自律が容易に侵害されてしまいうるからである。 いささかハリウッド的な例を考えれば、私たちは致死的かつ非常に感染力の強い新種のインフルエンザが登場したとき、すでに感染した街を焼き払うことでそれに対処すべきなのだろうか?それは極端な態度だろう。ではどこまでならば極端ではないのか。このような構造的問題をふまえて、私たちは介入と自律のバランスをいっそう慎重に精査しなければならない。少数の人々の自律が犠牲にされることは常にあってはならない、と結論する必要はない。ここで述べているのは、少数の人々の自律が犠牲にされることを肯定する上ではそれに釣り合うだけの倫理的な正当化が必要だということである。 問題 傍線部B「このようなパターナリズムと自律の問題は、医療よりも公衆衛生においていっそう先鋭化する」とあるが、「公来衛生」における「パターナリズムと自律の問題」に対して、筆者はどのように考えているか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。 ②健康をめぐって多数派の利益と少数派の自律が衝突した際には、多数派の利益を擁護するために、少数派を犠牲に することを倫理的に正当化するのもやむをえないことである。 ⑤多くの人々の健康を優先しようとすると、個人の意志に反した政策を強制することになりかねないため、その際に はその政策が倫理的に適切か否かを慎重に検討しなければならない。