もちろん「公式の記録書」なんですが、「公平な歴史書」ではないってことです。
まあ、そもそも「公平な歴史書」というのが存在するのか?と言う話なんで、現在の国家記録と言っても、「我が国はこのように小国を脅迫した」なんてことは書かない訳です。
特に「吾妻鑑」は北条氏の時代に編纂された訳ですから、その「ヨイショ」がある意味かなりある、とされている訳です。
もちろん「歴史」も意識しているので、「ウソは書いていない」傾向はあるんですが、あんまり知られたくない事実は、さらっと「この時、誰々が引退した」とか書いてあって、「引退って何?」みたいな解釈でもめたりする訳です。
だから、結構面白いのが「頼朝」なんかで、「偉大な初代」みたいな書き方と共に、「この時は興奮して大変でした」みたいなのが素直に書かれていて、「むしろ北条氏の記述よりオモシロイ」みたいな話もある訳です。
例えば「北条泰時には欠点がありませんでした」みたいなつまらない書き方に対して、「頼朝は怒って大暴れした」みたいな記載は楽しくて仕方ないわけです。
この辺、「平家物語」が小松流(重盛の子孫)が残したのでは?と言われる書き方で、だから重盛ってのは「パロディ」なんかだと、「おお、重盛、参ったか」「はい、今日もつまらない話をくどくどと話しに来ました」なんてなっている訳です。