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シニアの方々に質問ですが、昭和30年代に 東海道新幹線が開通出来たのは、誰のおかげなんですか?どれ程の権力者なんですか?

回答(13件)

技術は島親子、お金・政治的な駆け引きは十河国鉄総裁ですね。 ただ、十河国鉄総裁は完成前に首が飛びましたから、 決して権力者ではなかったです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E4%B8%89%E5%A4%A7%E9%A6%AC%E9%B9%BF%E6%9F%BB%E5%AE%9A こんな感じで、昭和三大バカ査定と非難されました。 ただ、世界銀行からの融資が下りていたこと、 戦前からの弾丸列車構想がもともとあったことから 動き始めた計画は止まらず、開通に至っています。

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島親子と十河国鉄総裁の尽力が大きいと思います。 十河氏は国鉄のトップですからかなりの権力者です。 島親子は代々国鉄の技術者で、親は新幹線の原点となる戦前の弾丸列車を立案、子は一旦国鉄を離れたものの、十河総裁に乞われて新幹線開発の責任者となりました。 十河総裁は世界銀行からの融資を実現すると共に、政府に嘘をついて建設予算を低く伝え、予算執行を認可させました。 予算大幅超過の責任を取り、十河総裁は新幹線開通前に辞任しましたが。 もし嘘をつかなければ政府は新幹線建設を認めなかったでしょうし、低い予算では全線立体交差も実現せず、踏切のある地上を210m/hで疾走し深刻な事故が頻発していたでしょうし、貨物列車を走らせ、現在のような過密ダイヤ編成は不可能だったでしょう。(実際に、予算を抑える為踏切計画も貨物列車計画もありました)

世界銀行、国、元々弾丸列車計画を進めており用地買収が安易だった