昭和の時代から美術家をしています。
大抵のひとは学生時代にそういう事を教え込まれているものです。
「作品は一度自分の手を離れればもう何もしてあげられない」
つまり作品の横に立って常に解説をする事は出来ないのだから、言い訳はするな!と教わるわけですよね。
だから誰も気にしないです。
と言うより、的確に当たっていたことはありません。
若い頃は自分の作品の講評とかを雑誌や新聞で読んで、へ~そうなんだ~と他人事のように思ったりもします。
それで昭和の時代ではタイトルに「無題」というのが多かったわけですし、ギャラリートークなどでも「あなたが見たまま感じたままでいいですよ~」で済ますことが出来ていたわけです。
ところがSNS時代になり、コロナによってネット世界がディープになって、そういう事が不可能になりました。
なぜちゃんとタイトルを付けないのか?と言われますし、画廊さんからも「無題」は歓迎されなくなりました。もっと情報を出さなければダメな時代になったわけです。
そしてコロナ後の世界では、展覧会の度に美術評論家さんとのトークがあり、自分の作品について語らされ、そしてそれがアーカイブとしてネット上に残るようになったわけです。
自分よりも年輩の作家さんのなかには、そういうギャラリートークだとかを仮病を使って休むひともいます。
つまり
「作品やパフォーマンスをみた感想をつたえて、それが本人が意図して居なかったものであれば悲しいですか?」
は全くの誤解で、あなたが感じたことを作家に話してくれる事が一番うれしいわけです。
毎年美術団体展に出品されている某有名な画家の話ですが・・・
毎年、その団体展のチケットのモギリのバイトをしてくれているおばさんが「〇〇先生ってお身体が悪いのね、30年も毎年作品を観ているからそういう事もわかるの」と自分に話してくれたのですが・・・
実はまったく健康面では問題ありませんでした。
そうやって絵を観ていろいろ想像してくれたり、健康を心配してくれたり、そういうのは作家にとっては嬉しい以外ありません。