銀座線と御堂筋線は歴史的に大して変わらないのに、なぜ銀座線は車両が狭く御堂筋線は他の普通の地下鉄と同じ車両の大きさなのでしょうか。銀座線も大きくすれば良かったのにと思いました。

補足

銀座線が開削工法に対して御堂筋線は推進工法だったのも不思議です。

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銀座線はもともと「東京地下鉄道」という私鉄でした。その頃の東京市は、関東大震災の復興でお金がなく、地下鉄整備の必要性はよくわかっていながらも財政的に手が回りませんでした。 そこで、それまで私鉄については頑なに山手線内への乗り入れを制限し、その内側は市営交通に統一していたものを覆し、地下鉄は民間事業者によって整備する事にしたのです。 そうなると、大規模な工事をやれば工費にも工期にも直結し、民間事業としては厳しくなります。トンネルはなるべく浅く小さく、みたいな事は当然として求められます。上に市電が走っているような生きている道路の下を掘るので、トンネルが浅いうちはしゃがむような姿勢で掘り始めたものでした。 一方大阪は、当時は東京を凌ぐような大都市で、絶好調。財政的にも非常に豊かな時期でした。御堂筋線も市の直轄、しかも御堂筋という巨大道路の開発と同時進行で施工されました。新しい道路(しかも当時は「こんな広い道路、誰が使うんだ?」とバカにさえされた)の下なので、大規模な開削も可能でした。 その結果、あのような大規模な構造物を作る事が出来たのです。

銀座線は開通当時私鉄だった。 とにかく建設のための資金集めに苦労したらしい。 車輛の大きさは、都電と郊外電車の中間サイズで十分とされた。 それに対し、大阪は力が入っていた。 金もかけた。 現在も使用している梅田~難波の駅設備を見ればわかると思う。 車体も当時の阪急や阪神などより、ずっと大きいものが採用され、全国的に見ても第三軌条の路線では最大。