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齋藤知事は民意により選ばれたとみなさんが仰っていますが、得票割合は総計で5割を切っていますし、反対派が分裂しただけで、民衆の信任は取れたとは言えないと思いますよ。
齋藤知事は民意により選ばれたとみなさんが仰っていますが、得票割合は総計で5割を切っていますし、反対派が分裂しただけで、民衆の信任は取れたとは言えないと思いますよ。 今回の選挙批判の弁明もdéjà vuの感じで全て全く非を認めない氏の人格を表していると思います。人を自殺に追いやっておきながら同義的責任すら認めない人を信用できますか? 百歩譲って同義的責任に対しては「自分は弁護士の意見を鵜呑みにして早計な判断を下してしまいましたが、内部通報者保護の観点を考えればもっと慎重に判断すべきでした。 その意味で道義的責任を感じます」というのが通常の信頼できる人がすべき発言でしょう。 知事というより人間として失格であり、最低の人間ではないかというのが私の意見です。 みなさんどう思われますか? よく考えてください。
民意という言葉ですが、通常の選挙では候補者の中で誰を選ぶかの選択であり、この意味では民意が現れています。 私が指摘するのはその最適解の選択ではなく、斎藤氏の知事としての適格性に対する是非です。この意味で反対票の総計の方が多いことを指摘しています。 通常の誰が一番かを選ぶ選挙とは異なると思います。これを持って百条委員会を解散すべきとの意見がありますが、これは正しくないと思います。
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