自由意志はない。ひいては行為者はいません。人生はくじ引きではないですか?
自由意志はない。ひいては行為者はいません。人生はくじ引きではないですか? ラメッシ・バルセカール(Ramesh S. Balsekar)や社会心理学者の小坂井敏晶が、そのようなことを言っています。 素朴な疑問なのですが、人間はどこにどんな身体で生まれるかによって、人格、能力、人生が違うわけですが、それは選ぶことができません。なのに、なぜ自由意志はあると多くの人は思っているのでしょうか? それは、自由意志ではなく、自由意志感覚、ひいては、行為者感覚にすぎず、インド国営銀行元頭取の非二元論の覚者ラメッシ・バルセカール(Ramesh S. Balsekar)の比喩表現で言えば、聖なる催眠のようなものではないでしょうか? ラメッシが言うように、脳は自力では何もできない反応器官(プログラミングされたコンピュータ)であり、実際には、行為者は存在せず、あらゆることは、ただ起こるだけではないでしょうか?
無自由であるということは、自分(行為者)の自由意志で、一切の身体、精神の活動ができないことを意味しますが、仮に、そのことを理解し、受け入れたとしても、私たちは、したいことができなくなるわけではありません。見かけの自由意志があるためです。 無自由による自由があります。 ラメッシによると、それは、心の重荷からの自由です。プライド、罪悪感、責任、挫折感、恥、敵意、憎しみ、嫉妬、などの心の重荷となる感情は、自由意志、ひいては行為者感覚に起因しており、自由意志や行為者が存在しないことを深く理解できれば、これらの感情が軽減、解消され、心の平和が得られ、人生がシンプルになります。