映画「糸」は、二人の主役、菅田将暉、小松那奈が魅力的で目が離せません。
中学生の頃は、菅田の方が輝いて居て、小松の方は家庭での虐待で静かな少女でした。
然し、成人してからは菅田の方が、田舎の変わり映えしない生活で、小松はシンガポールでネイリストの法人を立ち上げ華やかな生活です。
其の二人の変貌振りが、映画鑑賞上中々良いです。
菅田は、小松を守れ無かった事が傷に為り、自信を失って終った感が在りました。
小松は、逆に菅田に守られて居ると言う思いで、外に羽搏いて行く様に見えました。
友人の結婚式での再会では、小松に斎藤工のパトロンが居て、一緒に為れる要素は在りません。
小松が母親に再会したいと思い、一緒に函館を訪れる時は、二人に其々相手が居て、繋いだ手を放して終うのです。
男女が出会うには、タイミングが大事だと言う事は、本当に其の通りだと思います。
菅田の妻が子供を残し乍ら、癌で死んで終う事、小松がパートナーの山本美月に裏切られて破産して終うのは、都合が良い様にも思えるし、運命的にも見えます。
最良の出会いの為には、二人共色々と経験をする必要が在ると言う事でしょうか。
小松が、シンガポールで一緒に仕事しないか誘われて、其処で、子供食堂の方を選ぶのは、少し唐突感有りました。
おばさんが、あの子はどうして居るのか、もう一度会いたいと言って居るにしてもです。
自分には、もう帰る場所が無いと思い込んで居るからこそ、世界中を歩き回ると言う生き方を選択して居るのです。
逆に、自分にも帰る場所が在ると思えて居たらと言う描写が欲しい処です。
自分の原点を見つめ直そうと思って捉え無いと、不自然なのでしょう。
子供食堂の倍賞美津子が、菅田の娘を菅田が迎えに来た時、小松に対して、追い掛けて、お母さんが亡くなったんだと伝えるのは、一番、不自然でした。
二人の中学時代を知って居ればこそ、田舎で在れば再会させるのが自然でしょう。
娘から小松らしき人が帰って来た事を聴いて、娘を追い掛けるのは、どんぐりを投げ付けられ、其の声に従った物です。
其の声に従って生きて来たから只、余程で無いと出来無い事なのです。
然し、美瑛から函館は、余りにも遠過ぎます。間に合うでしょうか。
フェリーに乗らずに、カウントダウンは、もう少し違うエンディングが良かったです。
二人が中学時代の事を、少し思い出すシンクロは在っても良いですが、一度は、菅田が小松を見付けて、擦れ違うとか、ヤキモキさせ過ぎです。
演出が凝り過ぎて、不自然に為って終って居ます。
あのシチュエーションで、小松がフェリーに乗ら無いのは在り得ません。
若しくは、ステージに上がって、マイクを奪って「葵ー!」て叫ばせるとか。
平成、令和と描き乍ら、時代の流れに影響を受け乍ら、出会う人にも変化が生じて行きます。
時代背景、人と人との縁、偶然が重なって、出会う冪時と出会い方が決まって行くのです。
本作からそんな事を描こうとする意欲を感じました。
その中で、お互いがお互いに一番好きで特別な存在なのだけれど、状況が許されないから、結ばれなかったことを前提にしないと、理解しづらい映画。二人が、ツインレイという存在って思えば、理解できる映画。その人のためだったら、何でもできるって思えるのがツインレイの関係。そして、ツインレイこそが、様々な試練を乗り越えてこそ、初めて出会える存在と言われている。