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財務省は多分50年以上前から「膨大な財政赤字を何とかしなくてはいけない」と主張していますが、そもそも日本の財政赤字がこんなに膨れ上がったのは何時ごろからなんでしょうか?

回答(4件)

管理通貨制度を採用すると、 市中にあるマネーは、市中の経済主体のもつ負債と紐づき、発行されることになります。市中にあるマネーが増えれば、市中にある負債が増えます。 資本主義経済体制を採用すると 市中にあるマネーは、継続的に、膨張することで、経済が安定します。市中にあるマネーが継続的に増えれば、市中にある負債が継続的に増えます。 市中にあるマネーは、勝手に湧いてでてきて、勝手に増えたり、減ったりするものではありません。どうして、市中にあるマネーが増えるのかを、把握するべきです。 市中にマネーを供給しているのは、市中銀行です。国家は、市中銀行に、マネー供給の役割を委託しています。 市中銀行は、市中にいる経済主体に対して、その返済能力を査定して、担保を取るなどして、マネーを貸し出します。この際に、マネーを、万年筆でゼロから預金通帳に書き込むことで、マネーを創造して貸し出します。これにより、マネーが市中に供給され、マネーが増えます。ちなみに、借り手が負債を返済すると、市中のマネーが減ります。 この市中銀行の機能を、Money Creation(信用創造)といいます。 管理通貨制度で、資本主義経済制度を運営すると、市中銀行が、Money Creationして、市中の経済主体にマネーを供給する中で、マネーが継続的に増えることになります。これは、つまり、市中の経済主体が、継続的に、負債を増やすことになります。 > >財務省は多分50年以上前から「膨大な財政赤字を何とかしなくてはいけない」と主張していますが、そもそも日本の財政赤字がこんなに膨れ上がったのは何時ごろからなんでしょうか? => 1998年以降です。 1998年以前は、民間の経済活動で、市中にあるマネーがある程度、膨張していました。つまり、民間が継続的に、負債(借金)を増やし、市中銀行からの借り入れで、機械設備投資や、住宅投資を行っていました。 が、1998年以降は、民間の経済活動では、市中にあるマネーが増えなくなりました。 これは、バブル崩壊後の不良債権処理の失敗が大きいです。 1998〜2002年の間に、不良債権処理が進み、市中にあるリスクマネーが100兆円、消滅しました。これにより、市中にはリスクマネーが不足し、民間のリスク投資が減り、民間の経済活動では、市中のマネーの借り入れが増えなくなりました。 このとき、市中銀行が、BIS規制に対応するために、貸し剥がし、貸し渋りを行い、民間企業の借り入れは、増えなくなりました。 また、円高が続いたため、国内製造業が、グローバル化して、製造拠点を、海外に移し、海外で生産し、海外で販売し、海外で利益をあげて、海外にその利益を再投資するようになりました。そのため、国内製造業の国内での借り入れは、減り、国内設備投資が減りました。 1998年以降、民間の経済活動では、市中の借り入れが減り、市中のマネーが膨張しなくなりました。で、 1998年以降、民間経済活動では増えないマネーを、政府が市中銀行から負債を持って、市中にマネーをバラまくことで、市中のマネーが適正量、増えるように、対応しています。 日本経済の場合、市中にあるマネー(マネーストックM2:預金、現金)が、毎年、約25兆円、膨張することで、経済が安定しています。 日本政府は、毎年、30〜40兆円のマネーを、市中銀行から借り入れ、市中銀行のMoney Creationを促すようにしています。このマネーを市中にバラまき、マネーストックが、適正量、膨張するように、マネー量をコントロールしています。 市中のマネーは、勝手に湧いてでてくるものではないです。経済活動の中で、Money Creationされて、供給されています。が、適正量が供給されない場合は、政府が、経済に介入して、経済安定化のために、マネーを市中にバラまくことが、是認されています。このような対応を、ケインズ政策といいます。

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1973年のブレトン・ウッズ体制の崩壊が基軸ですね。 事実上の金本位制が終わり、そこから市場経済をベースとした経済システムへと変革されて行きます。 ちなみに1970年比較で日本の国債発行は約160倍に拡大しています。 1970年比較でアメリカの国債発行は約240倍に拡大しています。 現代の国債とはその国においてゼロリスクで金利が受け取れる金融商品です。このため現代の資産運用は国債をベースとしてリスクプレミアムを計算して様々な投資が行われています。 ブレトン・ウッズ体制崩壊以前の金融市場は、今日のような形では存在していませんでした。以前は金利は政府管理、比較的低位で安定、為替レートが固定、国際的な資本移動が制限され投資機会は極めて限定的という状態です。なので以前の金融市場と資産運用は預金、非流動的な国内株式市場、不動産ぐらいと極めて限定されている金融市場でした。またこれに付随して海外からの技術革新の流入や人の移動、投資、貿易などもとても小さなものだった訳ですね。 つまり1973年のブレトン・ウッズ体制崩壊以前は、現代のような市場経済と比較すれば、牧歌的な市場経済だったのですね。安定的ではあるものの経済成長のメリットは小さなもの、経済による効率拡大も小さなものという訳です。 ブレトン・ウッズ体制崩壊以後からは、金融の自由化、為替レートの変動制への移行、資本取引の自由化などが必要となり、市場経済が劇的に大きな大変革となって行きます。 またそれらに伴い中央銀行には物価の安定、経済の安定、金融システムの安定を同時に達成する役割が課され、それらのバランスに機動的に対処する責任を担う存在となりました。このためより大きな責任の伴う存在となり、中央銀行の役割が根本から変わりました。 そこから徐々に市場では国債金利を基準とした資産評価へ移行、資産運用商品や保険など金融商品の開発が促進され金融市場が拡大、更にそれらの影響からグローバルな資産運用市場の形成などへと大きな潮流変化が起きた訳です。 ブレトンウッズ体制崩壊以前と以後では、「革命前と革命後」ぐらいの変革であり、経済秩序が大幅に変わっています。 ただ日本の財務省は未だに頭がブレトンウッズ体制崩壊以前の人がいたりします。

ブレトン・ウッズ体制下では、金とドルの交換性により財政規律を定義していました。ブレトン・ウッズ体制の崩壊後は、この制約がなくなり各国は国債発行による財政支出拡大の必要性が大幅に高まりました。 ブレトン・ウッズ体制下では、各国の通貨はアメリカドルとの交換レートが固定されており、同時にアメリカドルは金と交換できるという仕組みで、物価と為替を固定的に運用していました。 ブレトン・ウッズ体制崩壊後からは中央銀行には物価の安定、経済の安定、金融システムの安定を同時に達成する役割が課され、それらのバランスに機動的に対処する責任を担う存在となりました。このためより大きな責任の伴う存在となり、中央銀行の役割が根本から変わりました。 現代では中央銀行の政策金利は国債の売買を通じて市場金利をコントロールするかたちで行われています。

始まってからずっと 笑 ってか増えない国なんてあるのか⁈ 『 明治時代1872年から見ると国債発行残高は3,740万倍に増えました。 図の通り、日本の政府長期債務残高は、1970年と比べて「171倍」になっているわけですが、財政破綻していません。 財務省の資料によると、政府の長期債務残高は2023年度末に1970年度の177倍強に達します。
  』 まともな人はこれを見てあれ?と思うはず