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発達障害の診断結果が変わることはありますか?

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回答(5件)

それは軽めの社会の洗礼というか。 今まで内輪でゆるゆるの関係しか築いて来ず。 好き勝手だけして来たツケみたいなものじゃないかな。 そういう人ほどちょっと何かあると発達障害とか持ち出すし。

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ASDの診断もらうとか、診断出たら何か変わるかなとかはないんですね。 そういう自分として、自分を学んでいくことでしょうね。 で、ダメなことは鍛えてもだめだから、避ける。避けられないなら、最大限具合悪くならない方法でやりすごせるよう努める。そういう生き方になるかと思います。 具合悪くなったらお医者行ってください。

「最近になって」なら二次的なものであって、幼少期からASDだったわけじゃないと思いますが。 そもそもASDのコミュニケーションの障害って「コミュニケーションに苦痛を感じる」とは全く違いますし。

発達特性は変わることはないと思いますよ。障害は浮動するものなので、特性が最初からあれば、なることもあります。 昔問題がなくて、今出てるなら、ASDではないと思います。 ですが、ASDの傾向ってゼロの人はいないです。特に日本人は。それが強く出てるのかもしれませんね。ASDほどじゃなくても、強く出てしまったら困ってる人も多いでしょうね。私の周りでは、新しいところに馴染めないということを、ASDよりADHDの人の方が良く言っているイメージはあります。空気がよみづらいと、馴染めないって感覚も少ないのかなぁ?馴染めないっていうのは、馴染めたことがある人の、相対的に使う言葉なので。

後述しますが、中1の時点でASDではないとなっているのであれば、その後ASDになることはまずありません。 「ただし…」という部分があるので、そこは見方を変える必要があります。 大筋としては「ASDではない人でも、ASDみたいになっちゃう精神状態のときはあるよね?」ということを書いていきます。 が、その前に。 ADHDもASDも、最も有名な診断基準は「DSM-○」に載っているものです。 (↑「○」には数字が入ります。バージョンアップされると数字が大きくなって行き、今はDSM-5が最新版です)。 これはアメリカ精神医学会が作っているもの…ということは、精神疾患と向き合うお医者さんたちが診断基準を作っている、ということですね。 ここからはすべて私の勝手な持論ですが… この「ADHDもASDも、さまざまな精神疾患の診断基準とともに掲載されている」事実は、 ADHDやASD(の、症状)を、「発達障害」の側面だけで捉えて考えるべきではない…というメッセージだと思います。 そんな前置きで。 人は成長とともに、自制心や色々な知識、モラルなどを身につけて行くので。 ある程度成長すれば「何かをやらかしてしまうこと」は減っていくはず、ですよね? 裏を返せば、自分を制御して、周囲と合わせられるようにする力が未発達な幼い時期になればなるほど、色々な失敗もしているはずなのです。 相手の気持ちを察したり、言葉の裏にあるものを考えたり…そういうことも、幼い時の方が難しいのだから。 中一の時点で困難さが無かったのであれば、基本的に大人になっても困難は生じない、はずです。 少なくとも「日常的なやり取り」に限っていえば、支障はきたさないはずなのです。 だって、成長した今よりも未熟な状態で困難が無かったのだから。 …そういう流れで考えると。 再検査した結果、今になって「やっぱりASDだね」なんて流れになることは…まぁ無いだろうと思いませんか? まずそれが一つです。 なにより大事なのは 「今現実に、それっぽいことで困り事がある」という事実。 見つめるべきはそこで、実は障害云々はどうでも良いことです。 障害であったとしても無かったとしても、今目の前にある困り事は変わらないので。 一般論として、目上の人と話すときは、誰だって多少なりとも「いつもと違う」スイッチが入るものです。 名前を出せなくなっちゃった女性ユーチューバーの何とかチャンのような、ああいう方ではない限り。 少なくとも我々日本人の感覚で言ったら、目上の人と接するときの多少の緊張なんて、極論で言えば「あって当然」。 ただ問題なのはその「緊張の度合い」で、そこは個人差ではあるのですが…。 いくら個人差といえど、毎度毎度カチコチに緊張しちゃうとなれば、それはあなたが言うとおり困り事でしかなく。 何かしら策を練って対策しないといけなくなるわけです。 …で、この困り事。 発達障害の人に限った困り事かといえば、違いますよね? 受験とか採用試験とか、そういうときの「目上の人とのやりとり」なんて緊張でしかないでしょう。 これが社会人となれば、面接ではないにしてもプレゼンだったり、一つ一つがミスを許されない現場でのお客さん対応であったり。 要は形を変えていくらでも存在するわけで、その緊張は「発達障害の人だけが感じ得る特殊なもの」ではないのです。 会社内での目上の人とのやりとりなんて、一言一言が評価に直結ですから、常に面接といって良い状況です。 (↑当然、実際には「目上の人」とのやりとりに限らず、なのですが) 社会人であればそういう中で生きていて、学生さんであっても、友達とのやりとりで「まずかったかな…」なんていうのはいくらでもある話。 だからこそ「あの場面を振り返って、反省」は、ごく率直に「生きるための力」そのもの。 自省できない人間に成長はありませんし、当然どこかで失敗しますから。 振り返ることが無い人間がいたら、その方がむしろ異常。 もっといえばその 「振り返ることができない、振り返っても何が問題なのか分からない(場合によっては受け入れようともしない)」 ことこそが、とりわけ以前までアスペルガーと呼ばれていた部類のASDの方の、最大の難点だったりもします。 (ゆえに、対人関係でのトラブルが生じやすくなります。カサンドラ症候群なる言葉は、もはやかなり有名ですよね) あなたが行きついた反芻思考というのは… これがまさにDSM的なもので、どちらかというまでもなく「メンタル不調」から陥るものが主役です。 だって、ネガティブな事がずっと頭によぎっているというだけで十分にメンタル不調でしょう? それがどんどん進めば、精神疾患として何かしらの診断がおりるわけで。 そこで出てくるのはASDでもADHDでもなく統合失調症とかうつ病とか強迫性障害とか、そういうものです。 よくよく調べてみたら実はADHDでもあった、なんて流れはいくらでもありますが。 ADHDだから反芻思考ではなく、ADHDゆえの困り事が原因で心にダメージが溜まっていって、結果メンタル不調に陥り反芻思考も見られる…そういうロジックですね。 同じくASDについても、ASDだから反芻思考…ではなく。 繰り返し考えてしまうほどの困り事があるけれど、状況を変える方法も思い付かない…だから反芻思考です。 どこかで「次はこうしてみるか…」となれば、同じ反芻でも毛色は変わってくるでしょう? そしてASDの方の場合、この「次はこうしよう」を考えることが苦手です。 ゆえに反芻しちゃうのです。 ASDだから反芻する、ではなく、ASDゆえの苦手さが原因で「反芻から脱することが難しい」のです。 …そろそろ、何が言いたいのか勘付いてくださったでしょうか。 長くなったのでまとめますが、問題なのは 「あなたのメンタル状態」であって。 少なくともASDは無関係です。 これまで困り事が無かったのであれば。 そして周りも「お前がASD?そんな感じは無いよ?」という状態なのであれば。 (↑困ったことに、本人は無自覚でも、周りはすさまじく困っている…ということが、ASDについてはとても多いです) 何をどうすれば良いか分からない…けれども、何かはしないといけない! そんな状況に立たされたら、たぶんあちこちフラフラ歩き回っちゃうでしょう? でもそれは「落ち着きが無いから」ではなく、 「使命感はあっても、どうすれば良いか分からない」ことから来る「不安の現れ」であって。 同じ「落ち着きが無い」見た目でも、中身はまるで違うのです。 置かれた環境から来る不安が原因なのであれば、不注意さや多動さ、まして衝動性に作用するADHDの薬なんて効くはずが無いのです。 強いていえば、必要なのは薬ではなく「あなたは今これをやっといて」という明確な指示です。 バイト先に馴染めない…というのも、本当にASD的な要素なのでしょうか? 実はそうではなく、対人関係に対する不安感とか、緊張感とか。 そういう所からくる、「うまく振る舞えない結果」なのではないでしょうか? まずは一度、そういう部分をしっかり分析してみてください。 万が一ASDであったとしても、自己分析は必要となってくるものなので。 (そうでないと、何が困り事でどこにアプローチしたら良いのかが分からない…ということは、診断が出ても「結果なにも変えられない」。それじゃ困るのです) 名前が付く何かに自分を当てはめてしまえば気は楽かもしれませんが、 それでは何も進みません。 必要なのは「パッと目に入った何かに自分を当てはめること」ではなく。 「気持ちや困り事の根っこに何があるのかを探ること」です。