回答受付終了まであと2日

日本史の質問です。 持統天皇は 天智天皇の娘と聞きました。 ということは 天智天皇の弟(天武)と天智天皇の娘(持統)が結婚したということですか?!?!びっくりです。

日本史 | 歴史69閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

1人が共感しています

回答(7件)

古代日本ではよくあった話です。 天武天皇は天智天皇の娘を3人娶ってますから。 この事が天智天皇と天武天皇は実は兄弟ではない、もしくは異父兄弟じゃないかという説もありますね。 聖徳太子の父帝と母親は共に欽明天皇の子供です。異母兄妹ということですね。 なので聖徳太子は父方の祖父と母方の祖父は同一人物ということです。 ただ古代にもタブーはありました。同母兄妹の結婚(恋愛)は許されませんでした。 天智天皇は同母兄妹の間人皇女(孝徳天皇妃)と恋愛関係にあったとの噂があります。なので天皇になるのに時間がかかったと言われます。(史実かどうかは分かりませんが)

この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう

それもあって、息子の草壁皇子は病弱(若死)だったのだろうけどね

「日本書紀」は都合上「天智と天武は実の兄弟だと記述していますが嘘です!」。 「赤の他人であれば、全然問題ありません!」。

当時は近親結婚は珍しくありません。 聖徳太子を摂政にした33代推古天皇は母は違う兄の31代敏達天皇と結婚。 天智天皇の母、斉明天皇は叔父の舒明天皇と結婚。 ただ、同じ父、母の兄弟姉妹の結婚はさすがにスキャンダルだったようです。 孝徳天皇の皇后、間人皇后は、兄の天智天皇と「不倫」関係にあったようで、孝徳天皇と天智天皇が喧嘩して、天智天皇が難波宮から飛鳥に帰ってしまうと、間人皇后も夫・孝徳天皇を捨てて、天智天皇についていってしまいました。 孝徳天皇は天智天皇と間人皇后を恨みながらほどなく死んでいます。 天智天皇、当時は中大兄皇子はその後ずっと即位しなかったことは古代史の謎の1つですが、間人皇后との関係が障害になったという説があります。 間人皇后の死後、中大兄皇子はようやく即位して天智天皇になります。

叔父と姪の結婚は当時、タブーではなかったようです。きょうだいでも母が違えば夫婦になれたそうですから。血を純潔にするため?という発想で、近親結婚をさかんに行なっていたようです。