回答(1件)
明君に登用されて人一倍忠義を尽くして勤め仕える者は少なくない。しかし、主君が死んで跡継ぎの君が幼いと、ややもすれば主家をおろそかにして、自分の利益を優先する者が多い。「六尺の孤を託すべき(=父親を亡くした幼君をあずけることができる)」人は、いやはや少ないことだ。「孤」は、父親がいない子どものことである。「六尺」は、『周礼』にあるように、十五歳の男子のことである。十五歳では、国家の政治のことはわからず、しっかりした補佐役が必要である。 「六尺の孤を託すべき」大臣は、うまく政令を隅々まで行き渡らせるのに値する才能を備えていなければならない。「百里」は、諸侯の大国のことである。「命」とは、政治のことである。世の中に「百里の命を寄せ(=諸侯の国家の政治をまかせ)」ることができるのに値する政治家も少ないと思わない。しかし、ひとたび大きな困難が起こったら、主家をおろそかにして、自分の身を守ることを急ぐ者が多い。本当に「百里の命を寄する」のに値する者は、いやはや少ないことだ。 才能があったら、政務は執ることができるだろう。しかし、勇気がなかったら、「大節に臨んで(=国家存亡にかかわる大事件に直面して)」腰を抜かすだろう。「大節」とは、国家存亡にかかわる大事件のことである。国家存亡にかかわる大事件にあたって、心を動かさず、志を変えず、身を擲って国に奉仕する人は、いやはや少ないことだ。 「大節に臨んで」動揺しないくらいの勇気があり、そのうえ大国を治めるだけの才能があって、「六尺の孤を託する」のに値するだけの信義があったら、それこそ「君子人(=君子とよぶにふさわしい人)」である。加藤清正のような人は、この「君子人」の資格を備えていた人である。 この章は、曽子が大臣の才と徳とを説いているものであるけれど、この趣旨は、今日あらゆる所で応用することができるはずである。
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