光る君では突然三条天皇が出てきて天皇を引き継ぎました。 それまで一条天皇や道長らに会うことも引き継ぎも描かれてません。

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三条天皇の異母兄の花山天皇も皇太子時代が長かったですね。ドラマでは花山にまひろの父の藤原為時が学問を教えてましたね。 花山天皇は即位すると叔父や乳兄弟らと政治を始めましたね。花山自身が政務の経験が無くてもそういう側近は元から役人なので出来たんだと思います。 三条天皇は生母が早くに亡くなってから祖父の藤原兼家の屋敷で育ちました。兼家は同じく孫の一条天皇よりも三条天皇をかわいがっていたそうです。兼家が亡くなってからも兼家の息子達にとり三条は大切なので教育係を付けていたと思います。 しかし即位してから早くも道長とは険悪ですね。

この時代の天皇は政はしません。 政は太政官の仕事。 天皇は基本的に祭祀が仕事です。 三条天皇は一条天皇の東宮となっているので当然次期天皇として祭祀の勉強はしてます。 ただそれらは神祇官から指導を受けます。 天皇から直接指導される事はないです。 なので何も問題ないんです。

突然じゃありませんが。 ちょこちょこ出てきていたでしょう。 道長とも会話していましたよ。 あなたが認識していなかっただけです。 25年も東宮やって、ようやく即位したのが三条天皇ですよ。

たまにですが、顔出しくらいはしていました。 第32回「誰がために書く」で、道長のことを「叔父上」と呼んでいました。 第36回「待ち望まれた日」で、道長の庶兄の道綱から「火山院が亡くなられた」という報告を受けて「これで 冷泉?系の血筋は 自分と息子の敦明だけになってしまった」と嘆いていました。

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光る君は小説やドラマなので、歴史的事実とは異なる部分があります。実際の三条天皇の経歴は以下の通りです。 ・三条天皇(1119年-1191年)の生涯 ・1123年に皇太子に立てられ、道長の孫である藤原忠通から教育を受けました。 ・1141年に22歳で即位しましたが、その前から政治に参加し経験を積んでいました。 ・藤原氏の専制政治に反発し、1156年に藤原氏の権力を排除する「保元の乱」を起こしました。 ・乱の後は親政を行い、公家や武家の支持を得て権力基盤を築きました。 ・1165年に退位し、法住寺殿に引退しましたが、後継者の支援を続けました。 つまり、三条天皇は皇太子時代から政治に関わり、経験を積んでいたため、突然天皇になったわけではありません。光る君の描写とは異なる部分があります。

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