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出家といっても貴族の場合は自邸を出て寺に入るよりも、在家出家(自邸で暮らしたまま出家)というケースが多く見られます。中でも富裕な権力者であれば自分のための寺を建てます。 特に貴族女性の場合は尼寺に入ると窮屈な規則に縛られるので、自由に仏道修行のできる在家出家が主流です。 そして髪も「尼削(あまそ)ぎ」といって腰のあたりで切りそろえます。衣類もこれまで通りで、場合によっては袈裟をつけます。 以下は国宝『源氏物語絵巻』(鈴虫)の復元図ですが、出家した貴族女性の姿をよく表しています。
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定子が亡くなってからも彰子は長く懐妊しなかったので、道長は定子の生んだ第一皇子・敦康親王を彰子の養子に迎えました。彰子に最後まで皇子が生まれなかった時のために、布石を打ったのです。 七年後、ようやく彰子に第二皇子・敦成親王が生まれると、道長はあっさり敦康親王を捨て、その周囲から後ろ盾になりそうな人物を排除して行きます。その後はすでにご承知の通り。
質問者からのお礼コメント
有難うございました。
お礼日時:6/6 23:14