なぜキリストはパンやブドウ酒を『これを食べなさい。これは私の肉だ』とか『これを飲みなさい。これは私の血だ』とか気持ち悪いことを言うのですか?

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確かに日本人にとっては、あまりなじめないもの(あなたは気持ち悪いと言っているように)ですが、キリスト教者として毎週日曜日に教会に集い、この儀式を行うことにより、当たり前のようになります。 1週間に一度(日曜日)の聖さん会でこのパンとブドウ酒(あるいは水)を取ることにより、バプテスマ(洗礼)を受けるときに交わした誓約を思い起こすために行います。このときに次のような祈りが行われます。 「永遠の父なる神よ、わたしたちは御子イエス・キリストの御名によってあなたに願い求めます。このパンを頂くすべての人々が、御子の体の記念にこれを頂けるように、また、進んで御子の御名を受け、いつも御子を覚え、御子が与えてくださった戒めを守ることを、永遠の父なる神よ、あなたに証明して、いつも御子の御霊を受けられるように、このパンを祝福し、聖めてください。アーメン。」 バプテスマの時に交わす誓約とは、いつもイエス・キリストを思い起こし、そして彼が命じられる戒めを守り、キリスト教者として生活することを約束することです。

キリスト教カトリックの信者です。 カトリックのミサは、パン割きとも呼び、ミサの目的は、聖体拝領です。ミサの祈りによってキリストの体に聖変化したパン(それ故聖体と呼ぶ)を頂き食べて、キリストを信者自身の体内に迎え入れる意味があり、それによって、キリストとの一致と信仰を深めます。 因みに、司祭=神父「キリストの体」、信者「ア-メン」と言って、頂きます。

そのパンとワインの“生まれ変わり”の儀式は、元々、パウロやルカなどタルソス(現トルコ)出身のギリシャ系ペルシャ人達が古くから信仰し、ローマ帝国でも広く知れ渡っていたミトラ教の儀式の一つです。 以下、http://hexagon.inri.client.jp/floorA7F/_floorA7F_mitra.htmlより引用 >もとは、ミトラとアポロンが催す宴席に信者一同が参加し、聖なるパンとワインを分けてもらうことで自分たちがアポロン同様に「ミトラの友」であることを確認する儀式であった。新しい仲間を迎えるときも、同様の儀式をした。 ミトラ教の密儀では、牛を殺して、その肉と血をメンバーとともに食べる。これは、そのままキリスト教における聖餐の儀礼である。ただ、食べるのがイエスの肉=パンとイエスの血=ワインであるかの違いである。 新約聖書と呼ばれるイエスについての4つの福音書(マタイ、ルカ、マルコ、ヨハネ)のうち、 ルカとマルコの福音書はほとんどがフィクション(虚偽)か、マタイからのパクリです。 彼らは、実際には一度もイエスに会ったことはなく、もちろんイエスがどんな事を言って、どんな事をしていたのかまるっきり知りませんでした。 彼らは、イエスの一弟子だったマタイがイエスについて書いた記事を基に自分達で妄想してドラマチックな話を付け足し、 後にマタイの記事にもフィクションを付け足すようになります。 だから、4つ目の福音書であるヨハネ(本当はヨハネが書いたものでなく、イエスの弟子のナサニエルなのだが)は、 ルカやマルコ、パウロ、ペテロといった偽弟子及び偽預言者達にできる限り真実を捻じ曲げられる事がないよう、彼らには理解しにくい視点でイエスの真実を書いてあるのです。 それでも、彼らは一部、書き足したり、書き換えたりしていますが・・・。 だから、ルカやマルコに描かれたパンやぶどう酒を「自分の血であり、自分の肉だ。これはわたしとの新しい契約だ」との記述は、 彼らが自分達の教えを広める為にフィクションとして付け足したものであり、イエス自身はそんな話は一つもしていません。 彼が話したのは、ヨハネに書かれてあるように、イスカリオテのユダの裏切りについて述べただけであり、 それ以外の記述があるのはルカとマルコだけです。 尚、マタイにも26章26節から、そのパンとぶどう酒の新契約の話が出てきますが、 その直前まではイエスがイスカリオテのユダの裏切りについて話し、ソースをつけたパンをユダに突きつけて、 ユダが「わたしがその裏切り者だと言うのですか?」という深刻な場面です。 ところが、ここでブチッと話が途切れて、突然、 「彼らが食事をしている最中、イエスがパンを取り上げてそれを割り、割ったパンを弟子達に配って・・・」 という和やかな食事場面の話が書かれていて、かなり不自然な文章になっています。 つまり、彼らはマタイのオリジナル記事にそれを付け足したか、あるいはユダの質問へのイエスの返答を抹消し、その部分を書き換えたのでしょう。 だから、その新契約の話は嘘だと言う事です。

パンは聖書の言葉 キリスト ワインはキリストが十字架にかけられた事 救い 許し これらを両方信じてますか?と言う証かな~ あなたの言う事も間違いではない 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」 これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。

キリストは自分を尊敬させるためだとおもいます。