知恵袋ユーザー

2023/9/19 13:35

1010回答

中卒や高卒の人達に比べて、大卒の高学歴の人達の方が、よく読書をして沢山の知識を学ぼうとするのは、頭の良さと読書量の多さには相関関係があると思いますか???

読書 | 一般教養1,187閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

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批判もあるようですが、 批判されてしまうのは、あなたの質問が 「中卒高卒は高学歴大卒より本を読まない」と 「中卒高卒は高学歴大卒より賢くない」と 「本を読むことが高学歴大卒になる」をごっちゃにしているからです。 例えば、県立で1番の高校を卒業して、家庭の都合で、 高卒で地方公務員になるケースだってあるわけです。 中卒で、社会人になってから本を読みまくって社長になる、とか。 逆に、 KO大学は幼稚舎上がりならバ◯でもKO大学生。 ある例では、私の彼女の話ですが、 某超有名企業で、同期に「幼稚舎上がりのKO」が二人いた。 笑いながら騒いでいるので何かと思ってみたら、 「小学生の分数の足し算割り算が出来ない。。。」なんすかこれ。 親の七光りで、新入社員年収600万でこれで威張ってる。 世間から「すごいですね」なんて言われてる。 という事実がある事を おそらく、あなたの意見を批判している人って知ってるんです。 それを私的にまとめると、 「中卒高卒と読書量と有名大かどうかを一緒にすんな」と。 と同時に、 個人的には、 「関係あると思います」 矛盾してるようですが、なぜってそれは私個人の経験だからです。 ずっと本が好きで、本を読まない日はなくて、 高校までずっとトップで、大学では上位で、 社会人になってからも、毎日読んでました。 が。 読まなくなって、ほんとに馬鹿になりました。。。 なので、実感してるんです。 世間はこうである、と私はこうであるのはまた別ですね。

相関関係にあると思います。 ただ例外は当然あるでしょうけど。 それから偏差値60以上の高卒とFランクの大卒では、 前者の方が読書が得意だと思いますし、先天的又は後天的な頭の良さは優れていると思います。 まず読書量が多いという事は、読書家の家で生まれたか、読書を許す環境だった事が想像できるので、ご両親や兄弟も頭が良い可能性が高いです。 読書をする事で筆者が最も伝えたい事を熟考したり、要約して読解力を鍛える事もできますし、家族間でシェアする事もあるでしょう。 さらに他者の一方的な主張と対話する事で、自分には無い価値観や知識を受け入れる力、一歩引いて世界を見るメタ認知力も自然と磨けるのではないでしょうか。 これが勉強と向き合える力を育てていると考えます。 読書を一切しない人間は、他者の価値観や主張を受け取り、それについて思考する経験が少ないから勉強も苦痛だと思います。 何故なら、テキストとの対話は異物を取り込む作業のようなものだからです。 それから読書をする人・頭の良い人は自分の立ち位置(世の中には知らない知識がまだまだ沢山ある事や、自分は今どんな知識を求めているのか)が明確ですが、そうでないと読書や勉強に意義を見出せないかもしれません。 私の妹は高卒(偏差値30台)で読書習慣がないので、本が読めません。 文字は追えますし、漢字も難しくなければ読めます。 ただ内容の理解がとても浅く、日常生活でも表面的な事しか見えていません(他人の気遣いが解らないなど)。 何より集中力がないので、本1冊は相当難しいと思います。 ただアウトプットはとても上手ですし、簡単な単語の短期記憶は得意です。 「美味しい」「楽しい」程度の会話で済む時間を共有する場合には、愛嬌もあって可愛い妹ですが、少し複雑な会話の理解は難しいですね。 何よりも「本を読む意味が解らない。為になるの?誰かから聞いた方が効率的じゃない?」と。 根底にあるこの考えが、まるで歯を磨くように習慣として本を読む人たちとの学力の差を生むのだと思います。

大学ってそもそも本を読んで考えるところなので、読書できる人が入ることは必須だと思います。 最近は推薦入学も多いし資格取得のための大学も多いのでそうではないかもしれませんが、基本的には大学は知の宝庫なので当然です。

そりゃ頭悪いと本読んでも意味わからないですからね。読まないでしょう。 でも、本を読むけれど意味は分かっておらず暗記している人もいますし一概には言えないと思います。 本を読めるかどうかではなく意味を理解しているかどうかが大事なんじゃないかな。

これは残念ながら相関関係はあると思います。 ただ前提としてですが、学力があるのに事情があったり自分の意志で中卒や高卒を選択した人は除きます。それと誰でも入れるような所謂Fランク大学卒業の人も例外とさせていただきます。 アメリカか何処かの研究者が言っていたとホリエモンが言っていたのですが、偏差値60以上ぐらいじゃないと文章を理解することができないと。それ以下の人は文字は読めるけど文章は読めないみたいなことを言っていたのですが、教育者をやっている自分の体感だと大体それぐらいで合っていると思います。 ただ、あくまで自分の体感では大学偏差値60以上ではなく高校偏差値60以上です。そのぐらいの偏差値の高校を狙える子ぐらいから文章の意味を理解できているように思います。 分かりやすいのが数学の文章題です。所謂〜の利用みたいな文章題をまともに理解できてある程度解いていくことができるのはそれぐらいの偏差値以上の子からです。それ以下の子は解法を暗記して解くことしかできないので、ほんの少し文章を変えられたりしたら振り回されます。だから単元としては習ってはいるけど、問題としては初見みたいなものには対応できなかったりします。 あとやっぱり小説等の読書習慣がある子は学力が高い子が多かったです。逆に全く読まない子で学力が高い子は珍しい部類でした。学力が低い子は読書を嫌う子が多かったように思います。でも漫画や映画で物語を見ることは好きだったりするので、やはり活字を読んで内容をイメージしたり文章の意味を捉える能力が欠けているのだと思います。文章の意味を理解できなければ、当然読書というものは苦になりますし、読書習慣も付かないと思います。 でもこれは先天的な要素が強いと思うので仕方ないのだと思います。生まれつき足が速いとか遅いとかと同じようなものだと思います。