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お礼日時:2022/4/8 20:13

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もし永遠の生命が有るのならそれを消滅させて無になるために厳しい修行をする。永遠の生命などないと思えば、死んだ後のことなど考える必要が無いので今を享楽的に生きる。この様な極端な生き方をするのではなくその中間の生き方をすると言うのが中道の意味です。仏教では八正道に沿った生き方をせよと説いています。

永遠の生命を説くバラモンの教え(ヒンドゥー教)=常見 今世限りの生命を説く六師外道の教え=断見 お釈迦様の時代は、古くからのバラモンの教えに基づいて「バラモンは、前世もバラモンであり来世もバラモンだ」とするカーストによる階級制度が強く根付いていました。(階級が永遠に輪廻転生を繰り返すという常見) それに反発する勢力として「人間は死んだら一切無で輪廻転生などしない」とする非バラモン思想の自由思想家達(六師外道)が新たな学説を提唱し激しく対抗した。(断見) お釈迦様はこの「断見と常見」の両説を否定し、運命のままに生きれば輪廻転生を繰り返すが修行によって解脱することも出来ると説いてカースト(階級制度)を否定します。 このような「断見や常見」といった考え方は「モノの有る無し」といった極端な考え方であってお釈迦様はその二辺から離れて「世の中は全てが縁によって生じる」といった〝縁起〟を真理として〝中道〟を説きます。 縁起とはここでいう〝出来事〟のことです。 世界のすべては「モノ」ではなく「出来事」でできている https://note.com/tuttlemori/n/n43c4fef567b6 近年の物理学者がお釈迦様が説いた縁起に基づいた学説を真理として唱えだしています。 そのお釈迦様が説いた中道は〝無我〟と〝縁起〟という思想によって成り立ちます。

竪琴の弦を張りすぎると切れる、かといって緩め過ぎると鳴らない。適度に弦を締めて掻き鳴らすが良い…と仏陀釈尊は言われました。 修行も同じで、厳しすぎると体を壊すし、緩すぎると修行にならない、ちょうど良いとこでやんなさい…ってことです。 修行だけでなく、世の中の事は全て中道が良いのです。

自分の生き方に関しては両極端に偏るな、白か黒かを決めたがるな、どっちつかずのグレーの生き方が最上である、ということです。中流家庭万歳ですね。 「過ぎたるは及ばざるが如し」に近いように思えますが、この場合のグレーの生き方はヘーゲルの正+反=合の弁証法により近い。両極端から良い部分を取捨選択して取り入れて生きた方が良いということですね。