何で秋篠宮紀子さまは、3人目のお子さんを遅く産んだのですか? 何か理由でもあるのですか? 質問お願いします。

補足

何でかすぐ教えてください。

政治、社会問題133,974閲覧

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知恵袋ユーザー

2008/9/20 10:00(編集あり)

完全に皇室典範改正の阻止のためだったと思っています。毎月、学識経験者で構成される委員会で皇室典範の改正が審議され、それが国会でも報告され、いよいよ成立か?というときにご懐妊発表。ギリギリセーフで、最後の賭け(男系存続)に夫婦で挑戦したとしか思えません。もちろん、子供好きの夫婦ですから、第三子を望んでいたかもしれませんが、一般的に考えて10年以上もの歳の差では子供を作らないと思います。(私の身近に、不妊傾向の夫婦で第二子が10歳以上離れるケースはありますが、秋篠宮ご夫妻は眞子さま佳子さまを考えると不妊のケースとは確実に違うと思います)。今回は高齢出産ですし、母体への負担も大きくなる中でのご懐妊だったので、やっぱり最終的には皇室典範に絡んだものだったとの思いが拭いきれません。 それにしても悠仁ちゃんも健やかに成長されていて、可愛いと思います。

雅子さまに第二子を望めなかったからではないでしょうか。 天皇家は、お世継ぎが欲しかったのだと思います。 それで紀子さまに、ということになったのでは?

私も想像ですが、秋篠宮さまはほんとうに、兄思いの弟君なのです。 皇位を継承するのは、あくまで兄の子供で、兄に遠慮し、男の子が生まれるのをひたすら待ったのですね。 結局、陛下から「皇室に跡継ぎがいないことが、かえって雅子を苦しめているのだぞ。」と諭され、最終的に決断されたのだと思います。

想像ですけど、3人目を生むつもりはなかったんじゃないですかね。 しかし、あの頃皇室典範改正の話題が出てて、女系天皇を認めようかという伝統に反する話が出てましたから、〝それを阻止する為に〟3人目を生んだということでしょう。 あの絶妙なタイミングからして、そのようにしか思えません。 結果、男子が生まれたことで、皇室典範改正の動きはストップしましたからね。

この質問に答えるにはけっこう長くなってしまうので、一言ではしょってしまえば、女帝もしくは女系天皇論争に皇族の一員としてのコメントを求められた場合の、秋篠宮さまなりのひとつの答えではなかったのではないでしょうか。