現在の文学の潮流はなんという。 文学史ではよく自然主義の全盛期だとか白樺派と耽美派が隆盛したとか、文学の潮流が指摘できます。 そのように現在を分析すると、何が流行っていると言えますか。

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私は最近小説を読んでいないので、責任のない言い方になりますが、日本の文学は潮流として第一次戦後派前後で終わっているのではないでしょうか。小島信夫氏らの第三の新人も潮流といえば潮流ですが、徒花みたいに感じます。それ以降、村上龍や雑多な作家たちが登場しますが、読むに耐えるのは村上龍くらいで、それ以降私は馬鹿らしくなって小説を読むのは止めました。文壇はあると思いますが、昔の文壇が持っていたニュアンスはないでしょうね。江戸時代の俳諧でも、芭蕉と蕪村の大きな山脈を除いては雑多な俳人たちですから、これが文学の宿命かも分からないですね。

一部ではやっているのは「セカイ系」と呼ばれるものですかね。あるいは、スリップ・ストリーム。 でもどれも一部でしかない。 日本で一番主流なのは、そんな名称ないけど、「平成平易体」ではないですか。平易な文章で、身辺雑記を書いて、そこで新奇性を目指すタイプ。

昭和40年代から文学は顕著に衰退し、現在は淀んだ沼の状態だから、潮流などといったあることが望ましいものはない。作家が生活費を稼ぐために、読者に媚びた作品を書きまくっている通俗小説全盛の時代。 文壇というものが存在すれば、文学者同士の切磋琢磨がみられることであろうが、駄作を書いても恥ずかしめを受けることがない弛緩した現況では、作家個々人が生活維持のために娯楽作品を書いているのみで、将来新たに文学全集が刊行されるときには、昭和50年代以降から平成に書かれた作品は、なに一つ収録されることがないのではないかと愚考する。

回答ありがとうございます。 ご回答いただいた内容についてお伺いしたいです。 回答から、通俗小説を「作家が生活費を稼ぐために書いた作品」と定義できると思います。 私は現代作家にあまり詳しくないので、一般に知られている作家を例に挙げることを許していただきたいのですが、 たとえば山田悠介などは著作中の日本語が怪しいことからも、通俗作家としては異論がないと思います。 しかし、村上春樹や東野圭吾などは、すでにたくさんの著作で大金を得、これからは名声のためだけに書き続けているような感じがします。 彼らは、大正から昭和初期の作家の態度に似ているとは言えませんか。 おっしゃるとおり、たしかに切磋琢磨という環境はないように思えますが。 それとも教養量の差でしょうか。 いわゆる文豪は、幼い頃から外国作品を原文で読み込んだり、漢文を得意としたり、辞書を読んでいたと聞きます。