江戸時代、犯罪者が籐丸籠(とうまるかご)籐でできた丸く編んだ籠に載せられて運ばれたりした時、トイレなどはどうしていたのでしょう?食事は?

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11qp0 0qp11 さん、詳しい回答、ありがとうございました。すごく勉強になりました。oldagetranslaterさん、籐ではなくて唐丸という鳥から呼ばれるようになったとは・・・お二方ともよくご存知ですね。歴史の先生でいらしゃいますか?またいろいろ教えてください。本当にありがとうございました。吉田松陰が籠の中で本を読んでいたなんて!

お礼日時:2007/8/16 12:01

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籐丸籠で囚人を護送していた、江戸時代は囚人に対する人権の配慮などはありません。囚人を籠に入れて護送する時は、囚人を籠に座らせて縛りつけます。次ぎに籠を被せます。排泄はそのまま路上に垂れ流しです。食事や水の補給は籠の前の円形の穴から護送人が行います。 追伸:一般的には唐丸籠が正当でした。意味は唐丸と言う名前の鶏を入れる籠に形が似ているところから由来しています。しかし、籐で編んだ丸い籠の意味で籐丸籠と誤記された文献も多いです。