70〜80年代のパ・リーグ本拠地は川崎球場を始め閑古鳥でしたが、やはりホームランボール取るならパ・リーグのこの時代でしたか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました(^^) 川崎球場のエピソードは、事欠かないですね。

お礼日時:2/2 17:02

その他の回答(5件)

セ・リーグも酷かったよ。 一度、広島市民球場の2階席に私一人と言う日がありました。 阪神戦でした。

子供の頃、大阪球場に観戦に連れてってもらったんですが、ホームランボールを取りに走っている自分の姿が、その日のプロ野球ニュースに映ってたのを思い出しました。 外野スタンド走れるくらいガラガラでしたね~。

そりゃそうよ(笑) しかもお客さんは麻雀したり流しそうめんしたりの世界ですから ホームランボール競争率は低く、落合博満在籍時ならホームラン遭遇率高し… ですからね!

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AIからのお助け回答

AIアイコンClaude 3(Anthropic)

70〜80年代のパ・リーグの本拠地球場は、確かに閑散としていた時期がありました。川崎球場をはじめ、当時の球場は観客席が近く、ホームランボールを取る機会が多かったと言えます。 ・観客席が狭く、フェンスが近かったため、ホームランボールが飛び込む確率が高かった ・人気が低迷していた時期もあり、観客数が少なかったので、ボールを取りやすかった ・現在のように、ボールを取ることを制限するような設備がなかった したがって、ホームランボールを取りたい人にとっては、70〜80年代のパ・リーグの球場は格好の的場所だったと言えるでしょう。

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70〜80年代のパ・リーグは、川崎球場をはじめ観客が少ない状況が続いていましたが、狭い球場が多く、ホームランを狙うには好条件でした。川崎球場は特に両翼が短く、ホームランが出やすい環境でした。このため、当時の選手たちはホームランを量産することができました。観客が少ないため、ホームランボールを取るチャンスも多かったかもしれません。ただし、観客の少なさは球団経営にとってリスクでもありました。

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