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文系の学問って結局、ただの一人の人間の感想でお気持ち表明にすぎないですね?

回答(6件)

文系も理系も単独では成立し得ません 同じように感情と理屈は相互依存の関係にあります どちらも異なる領域で必要であって、どちらが優れている劣っているという問題ではありません 科学は感情では理解できませんし、 芸術は理屈では感受できません それぞれの適切な使い所があるということです

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理系の学問でテレビ出来て何を放送する? ドラマや映画は? 誰が脚本書くの? 誰が美術担当するの? 誰が監督になるの? 誰が音楽つけるの?歌詞は? 理系と文系それぞれの役割があるのでは。

そしたら英文法の研究もただの感想ですね

>文系の学問って結局、ただの一人の人間の感想でお気持ち表明にすぎないですね? いーえ。

文系がお気持ち表現だというのは私もそのとおりだと思ってます。 ですが、人間はその「お気持ち」に価値を見出す生き物なので、文学とか非科学的な文章にも価値があるのは間違いないです。 ただ、突き詰めていくと「論理」もまた人間の「脳」という構造物がもたらす文学的なものとも言える。 物理学の論理で言うと、この宇宙のあらゆる現象は「電磁気力」「重力」「強い力」「弱い力」の4つの力で成り立っていると言われてますが、それは「人間の感覚器」がその4つの力による運動しか認識出来ない事を意味しています。 ですが、私たちが見ているこの宇宙はまだまだ未知の物理現象に満ちあふれてて、ダークマターとかダークエネルギーとか、謎の存在に満ちているそうです。 それらもいずれは人間の物理的論理的方法で謎が解き明かされる時が来ると思いますが、あくまでそれは「人間の脳が生み出す」論理です。 宇宙人とか、あるいは中性子星に住んでる超次元生物は、人間とは全く違う構造をした「超脳」で論理を組み立て、人間にとっての謎を、謎とも思わずあっさり説明してるかもしれません。 人間は「人間の脳」という構造に縛られ、その構造物で生み出される理論によってしかこの世界を理解できないんです。 私にとってはそれも文学的な「感想」と同じものな気がしてます。 議論を積み重ねれば同じ結論になる、ていうのは「同じ言葉の定義」と「同じ前提条件」を持ってる事が必要です。 果たして万物に共通する定義と前提は存在するのか、という所も、また議論のネタになりそうです。 。。。とまあ、結論としては論理で全て解決出来るわけではなく、世の中そう単純ではない、て事ですね。

人間の脳が不完全なのは認めますが、その不完全な脳から導かれた 正しい論理は完全に正しいと思います ニュートンが存在しなくても ma=fが成り立つと発見されていたでしょうし 宇宙人からみてもこれは同じ結論に達していたと思います 理系科目だけが、人間の感想ではなくこの世界の真理の一部を人間に見させてくれるのだと考えてます! アイザック・ニュートン「我々は、海岸で貝殻を拾って遊ぶ子供のようなものである。真理の大海は、海の彼方にあるのかも知れないのに」 逆に言えば、ニュートンが拾った貝殻は真理の大海の一部ではあるということです