映画「八甲田山」は新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」が原作になっています。1902年(明治35年)に実際にあった遭難事故を描いたものですが完全なノンフクションではありません。史実と異なる部分も指摘されています。
そもそも1月下旬(厳冬期と言われるこの時期)に八甲田でなぜ雪中訓練(雪中行軍)が行われたのかが重要なポイントです。当時の日本陸軍は不凍港を求めて南下政策を進めるロシア軍の動きが最大の関心事でした。万一、ロシア軍が北海道に上陸した場合には、当時北海道に展開していた旭川を中心とした部隊では防ぐ事が難しいと考えていました。その場合は北海道を放棄して、本州防衛が不可避となります。その最前線になるのが青森歩兵第五連隊であり弘前歩兵第三十一連隊でした。映画冒頭の、第八師団会議で青森歩兵第五連隊と弘前歩兵第三十一連隊の幹部が打ち合わせを行っているシーンがあります。ロシア軍が陸奥湾に入り込み、艦砲射撃で青森と弘前、青森と八戸を結ぶ鉄道網を破壊した場合に青森市への補給路が絶たれてしまう。そうなった場合は、八甲田山を超えて弘前や八戸方面に行くしかないと言っています。夏場ならともかく冬場(特に厳冬期)の八甲田を超えて軍の物資輸送(補給)が可能かを検証することが主目的でした。
暖をとったから汗をかいたのではなく、胸まで埋まる雪の中を橇(そり)に乗せた軍の物資を運搬したから汗をかいたのです。任務を遂行した結果として汗をかいたのです。そして大暴風雪の中、帰路を失い道に迷った結果です。単に雪山登山に出掛けたのではないのです。