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『大乗起信論』に、

宗教 | 哲学、倫理175閲覧

回答(4件)

サマディのように。 お互いに会うのをやめないでください、仲良くしないでください。 決断も遅くはありません。 すべての悩みは徐々に薄れていきます。 普通の人々がこのサマーディを実践しなければ。 そこに来るような人々に入り込んでください。 良いことなど何もありません。 世界の禅三昧を育てているような味がします。 私のビジョンによれば、それは三つの領域に属しています。 外側の道で。 あなたが良い知識によって保護されている場合。 そうすれば、部外者は理由を見ます

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普通に善い仲間の意味では? 外道と内道の話をしているので、強いて言えば、内道の仲間、あるいは師。 単純にそういう話ではないですか? ちょっと気になったので… 「眞如三昧者」は「眞如三昧は」です。 「者」は「とは」とか「は」と読みます。 よく出てきます。 「所有煩惱」は「所有(しょう)の煩悩」です。 能〜(主体)、所〜(客体)という形で使われる。 ある行為をなす行為者を能といい,その行為がなされる目的または対象を所といいます。 所有〜という場合、敢えて書き下せば「有る所の〜」 となりますが、仏教用語として、あらゆる。とか、全ての。のようなニュアンスで使われます。 三昧は「定」。心を集中することです。

善知識とはお釈迦さまから続く正法を受け継いで護持している方です。我こそは善知識であると騙る偽祖師がたくさん現れて常に仏法を乱します。

そのままですけど、 凡夫に対して、眞如三昧を指導してくれる師ということでしょうか。 「味著」は、(三昧に)執着してしまうという佛教用語のようです。 世間の諸禪三昧を修行するのは良いのですが、そこに執着してしまうと、結局、三界(欲界、色界、無色界)につながれたままになる。そうなると、解脱は到底おぼつかないから、外道と変わらない。禅知識すなわち良き指導者が守るところを離れてしまうなら、外道の見解を起こしてしまう。 以上のように解釈しました。