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『大乗起信論』に、
『大乗起信論』に、 眞如三昧者。不住見相不住得相。乃至出定亦無懈慢。所有煩惱漸漸微薄。若諸凡夫不習此三昧法。得入如來種性。無有是處。以修世間諸禪三昧多起味著。依於我見繋屬三界。與外道共。若離善知識所護。則起外道見故 とありまして、語訳しますと次のようになります。 眞如三昧なる者は、見相に住せず得相に住せず、乃至定を出でても亦た懈慢無く、所有る煩悩は漸漸に微薄なり。若し諸の凡夫、此の三昧の法を習わざれば、如來の種性に入るを得ること是の処有ること無し。世間の諸禪三昧を修して多く味著を起こし、我見に依りて三界に繋屬するを以て、外道と共なり。若し善知識の護る所を離れるば、則ち外道の見を起こすが故に。 そこで皆さんにお尋ねします。 ここでいう「善知識」とは、何を意味していると思いますか? この質問は、『博多めんたい佛教大学』の授業の一環として立てました。 『博多めんたい佛教大学』 https://zawazawa.jp/e82kr5mrk6brk2am/ 状況に応じてホワイト・ボード(掲示板)の活用も有りえます。