「直木賞を貰っていないことに対して現在、なんのこだわりもない。以前にも書いたし、谷崎賞受賞パーティの挨拶でも述べたことなのだが、もし直木賞を貰っていたら作家としての「清張」=「成長」がとまっていただろうということは、特におれという作家の場合ほぼ明確なので、むしろ貰わなかったことを感謝しているくらいである。「大いなる助走」などという、直木賞選考委員皆殺し作品を書いた時だって、面白いものを書こうという意識のみあり、恨みつらみを晴らそうなどとは考えていず、むしろ落選した際の気持がなかなか思い出せず、怒りをかき立て、かき立て、主人公の怒りをリアルに表現しようと苦労した覚えがある。」(平成6年/1994年5月・新潮社刊 筒井康隆・著「笑犬樓よりの眺望」「殺さば殺せ、三島賞選考委員の覚悟」拠り
恨み辛みだけの小説にしなかった事と、面白さの追求其の為に、現実の人間たちの反応を引き出そうと捨て身の仕掛けが出来事、是が本書の、大いなる成功を生み出したのです。
其れにしても本書の最後の引用部分、「成長」が「清張」に為って居ます。
著者が判って仕掛けたのか知りませんが、思わず笑って終いました。
著者は作家としての清張がとまっていただろう」とは一言も言って居ませんので、悪しからず、単に誤植ですから。
後追いで読まれる方は正植に直されて居ますので、「成長」ですから念の為。