回答受付が終了しました

道徳ってなんだろう?って、答えがでないようなことを 漠然と考える時があります。 たとえば、日本で行列に皆がちゃんと並んでいるのに、

回答(8件)

道徳というか哲学な話になりますよね。 日本でも道徳的な行いをして損をすることはありますが、それが全てではなく公平かつ平等なことも多くあるはずです。 震災のときも日本人は順番を守ったり、本当に助けが必要な人を最優先にする気遣いがあったはずです。 それは道徳を理解し助け合う精神があるからです。 損をすることもあると思いますが、巡り巡って人の優しさに助けられる可能性が日本には数多くあるはずです。 それは道徳を学んでるからです。

この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう

そうですね。道徳心があるからこそ、裏切られたことで闇落ちしてしまったり。 ただ、道徳心は、そのような敗徳者から社会を守るための心だと思います。列を抜かす人が出現するのは、列を守っている人がいるからです。列が存在している場合、道徳はそこに効力を発揮しています。抜かされたとて、憮然とする必要もなく、いくら損でも、それは道徳を全うしている人たちが偉いです。 個人的には損になりうるが、全体的には得となるために、それは道徳と呼ばれるのかなと思います。そもそも道徳はこの様であるために、目前で裏切りがあったとしても、忍耐して社会との共生を選ぶのが勝ちです。人格者は、そこの損得に重きを置いていないと思うのです。 おっしゃる通り、全員が全員自己中心的になると、戦争のようになると思います。それをわかっているから、ルールを守る人は、目の前で短絡的な行動に走る人間に、ずっと耐え続けているはずです。そんな努力に静かに報いる方法は、また道徳だと思います。 しかし、他にも、転売・泥棒・浮気など、あらゆる不道徳は、まっとうに生きている人を不幸にします。理詰めすると上記のように、社会を優先してくれ、道徳を守ってくれた人勝ちだと思いますが、その不幸で精神が歪んでしまうので、誰にでも闇落ちがあり得ます。このような道徳を乱すものには、司法が期待されます。みんなで生きていこうとする寛容の精神、はみ出しものに耐える忍耐の精神、それから法がバランスよく存在して、少しでも、正直者が報われるようになって欲しいですね。

自己中な人が得をするのは当たり前のことです。 だからこそ、損をしてでも人を思いやれる人は尊く美しいのではないでしょうかね。

ありますね 職場でも友人関係やら、趣味の集まりやら どこでもそういう事を考えさせられる場面は多々あります ただ、思うんですが マナーが悪く利己的な人達が得ているモノって、物質的なモノだったり 自分の欲を満たすだけのモノの様な気がします 徳をつむ という言葉がある通り マナーが良い人、利己主義に走らない人達は「徳」という精神的な満足や自分に恥じない(親や子供にも)生き方を得ているのではないでしょうか それは、マナーが悪い人達が欲しくても絶対に手に入らないモノだと、私は思います なので、マナーなんて関係無いという人達が得をしているとは、あまり思いません お好きにどうぞ、という感じです

それは自分の信用の価値を過小評価している人なのです。自分の信用を保つまたは上げることで後に得られる利益が理解できていない、そんな人達です。 さて、横入りの彼ですが、彼はその行為で利を得たかもしれませんが、その列の後ろにはその後その横入り彼に対して大きな利益をもたらすかもしれない人物がいるかもしれません。1度のチートによりその後の利を失っていたかもってことです。 つまり彼は持っていればその後も利益配当が得られる「信用」を小さな目の前の利の為に浪費してしまったということになります。 私は「信用」や「徳」というものは、大きな配当が出る金融商品と同じだと思っています。