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194キロの危険運転について質問です。 弁護側の運転を制御できていたと弁護しているのですが制御できていないから事故になったのではないですか?

回答(3件)

ほんと、その通りです。 その論理で刑が軽くなるなら、 F1ドライバーが一般車で事故を起こしても、 ドライバーの責任ではなく、 車の性能が悪すぎて事故が起きたことになってしまいます。

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>法律が決まってなければ194キロ走行なんて危険運転以外の何者でもない。 法律があるせいで正常な判断ができていないと思います。 ここがよくわからない 法律がなかったらよかったなの? では何に基づいて罰を決めるのですか?

順番が前後しますが、まず法律自体の定義は(速度に関わる部分としては)以下のようなものです。 自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律 第二条 次に掲げる行為を行い、よって、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。 ︙ 二 その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為 なので、「その進行を制御することが困難」とはどういうことかっていう部分の判断は裁判所が握っているということになります。 具体的に何キロ以上の速度超過みたいに規定すればいいじゃないかと思われるでしょうが、法律にはこういうところが結構多く、わざとぼかしておくことで適用範囲をTPOや時代に合わせて柔軟に変えられるように…みたいな思惑があります。 まあ、物によっては具体的な基準を、省令などに委ねることにしていたりしますので、そういう方法で具体的な超加速度で機械的に判断できるような形にすることは可能なのですけどね。 個人的にもそうしたほうが良いと思うのですが、そこは法律制定時の警察官僚とかの考えがあったのだろうと思いますが。 AIで~については、そもそも現状のAIでは感情論がどうのとかいう以前に、的確な判断がまだできないでしょう。 危険運転~については、上の通り具体的な数字を決めるような形にすれば、AIでも判断はできるようになるでしょうけど、すべてがそういう形にできるわけではないですしね。 例えば、わいせつ関係の基準は曖昧そのものなのですが、同じように「上半身裸」でうろついたとしても、男性なのか女性なのか、場所がプールや海水浴場なのか街中なのか…等々で変わってくるわけで、そういうのをAIが適切に(要するに常識論で)判断できるようになるにはまだ大分かかるでしょう。 そういった「常識論」を取り入れるために人間が必要というところも大きいわけです。 まあ、おっしゃるように「反省しているかどうか」みたいなところの判断ももちろんありますけどね。 あと、「いかに心情を無くして判断するか」というのは、公平性の話ですね。 例えば、人を殴って怪我をさせた人を裁くというとき、被害者がチンピラで常日頃から周囲に迷惑をかけていたような人なのか、多くの人から慕われている人気タレントなのか…で判断が変わるようでは、公平な裁きとは言えません。 そういう部分では「心情的な判断」を排除する必要があります。 要するに、「被害者がかわいそうだから重罪にすべき」みたいなのはダメってことですね。 それをやり始めると、いわゆる魔女狩りやリンチみたいなことになってしまいますので、過去の反省からそういうのはNGと(日本だけではなく)法治国家はしているわけです。 でも、いわゆる「情状判断」みたいなものは逆に必要で、同じく人を殴って…のパターンでも、精神的なイジメを受け続けてきた人が我慢できなくなってつい殴ってしまった、というのと逆にいじめっ子のほうがイジメの一環で殴った、というのを同じ罪とするのは、普通に考えて違いますよね。 そういう部分では、「心情的な判断」も必要になるわけです。 基本的に、法律の適用は「常識の究極の姿」であって、日本という国の常識の権化であるべきですから、それはどういうものなのかっていうことですね。 まあ、法曹界の常識が世間一般の常識から乖離しているという意見はもちろんありますけどね。 それを埋めるために導入されたのが裁判員制度ってことではあります。