回答(8件)

私は般若心境です。別に信心深くなんかないですが、最後の、羯諦、ギャー亭、腹ギャー亭、腹そーぎゃーてい、ぼーじーそわか。というのは意味不明のまじない言葉で分からないだけに有難いような気がします。

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悪霊に仏の教えを説いて成仏を促す期待があるので般若心経 基本的に祓うのは日本いないです。 神社は悪霊からの防衛です。

おっしゃる「悪魔」の定義がよくわからないのですが、 悪魔の持ってる宗教観にもよるような。 つまり、魔的なスピリチャルも、最初は人霊だったことが多いと思うので、 キリスト教的ないわゆる悪魔に、般若心経や祝詞は通じないような。 キリスト教的解釈だと、悪魔は自分の名を言われてしまうと 魔力が失われるとかで、身バレが嫌だと言われています。 あのエクソシストの映画でも「お前の名を名乗れ」と 神父が言ってましたよね。 それで、聖書の言葉や十字架だの聖水だので浄めていたような。 日本的なスピリチャルなら、何か魔界に堕ちる理由があるのでしょうから、 恨みや憎しみ、あとは物品や人への執着とかで霊界に行けない、 もしくは非業の亡くなり方で悲しさとか無念さで成仏できず、 彷徨ってるうちに魔的な方向に堕ちてしまったとか、 ケースバイケースだと思うのですが、 理由を問わずに悪魔祓いと称して経文唱えて喝破する手法は 少し乱暴な気がします。 満たされない思いがあるから娑婆を彷徨うのでしょうが、 供養されたいのに誰もしてくれないような場合は 般若心経などのお経を読むことで鎮魂にはなるかもしれませんし、 生前好きだった食べ物をお供えし、施餓鬼のようなことをすれば 供養になることもあるでしょうし。 神道の祝詞は、主に「浄め」に使われるようですね。 不浄払いには良いのかもしれませんが、 怨念ギラギラになってる霊体に対して、 祝詞で「あっちへ行け」と言っても、 そうそう言うことをきいてくれなさそうに思います。 ですので、般若心経と祝詞、どちらも何ともいえないような。

般若心経の現代語訳を読むと、ただの奥深い哲学問答な内容に過ぎず、悪魔祓いできるような感じではなさそうです。難解な話が嫌で、去っていく悪魔はいそうですけどね(笑) 全人類が般若心経の内容をきちんと理解できたら、地球は別の世界になるでしょうね。。。多分、あれこそが宇宙の本質だと思います。 ですが、元々は起源2~4世紀ごろにサンスクリット語で書かれたものが、チベット語や漢語に訳されて、それが最終的に日本にやって来たものです。書かれたもの伝来したのも大昔ですから、内容やニュアンスが間違っている可能性もあるのではと思います。言語って大変繊細なものですし、時代によっても解釈は変わりますから。 今でこそ内容の正誤を確かめる事は可能ですが、もし間違っていても長い間そのままだから〜、これが伝統になっちゃってるから〜って理由で訂正されていないかもしれないですしね。。。専門ではないので分かりませんが。 本来ならばサンスクリット語の正しい発音で読まなければならないのでは?とも思います。それが漢語に訳されたものを、更にほぼ漢語読みにしているのですから、ある意味本質的な日本語(やまと言葉)でもないですしね。 一方、神道の祝詞はオリジナルから日本語ですし、代表的なものは祓詞と呼ばれるものもあるように、そちらの方がまだ効果があるのではないでしょうか。。。