回答(5件)

誰もがそもそも 弱い からです。 なぜかよくわからないけど 抱くんですね、なにかを。 なぜか を 自分は 何故? ではなく、 よくわからないけどふと、なんとなく ぐらいに読んでみての回答になります。 たれもが少し 俗語、下世話な言い方をすると ブレてなどいない ということにもなるのかなぁと思います。 ガクガク、ブルブル、、だと思ったり。 人間はなぜ「なぜか」と考えるのですか? たれもが唯一であるから。 心という例えるであれば ただ器だから。 かもしれませんね。 そもそも、たれもが はじめは ブレプレだから。 見えるモノもプレて見えていると思います。 そんな状況であるところから、 例えば このはっきりしない 見えているモノはいったいなに? とですね、例えば 思う、考えるのはやはり それだけ心というものはそもそも プレようのない静止した器だから。 あくまで哲学することが好きな者の 感覚意見に過ぎません。 お邪魔しましたm(_ _)m

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事象の背後にある規則性を解明することで、再現するための条件を知り、より利益を得やすくしたり、危険を回避しやすくしたりできるので、そういう本能が備わっているんでしょうね。

>人間はなぜ「なぜか」と考えるのですか? 「なぜ」というのは、いわゆる「疑う」「選別する」「本質に迫る」などの行為な訳ですが、 この行為こそが人が豊かに生きる為の原動力であり、人間の社会活動その物であるからです。 ですから人は生きる上で「なぜなのか?」と問わずにはいられないですし、 逆になぜと問わない人間は、非効率的な生き方を選んでしまったり、厳しい環境に晒される傾向があると言えます。 この「なぜ」についての疑問は、非常にシンプルでありながらなかなかに難しい問いです。 この「なぜ」について考える上で、 「そもそも生命とは一体何なのか」 「生命はどのような環境で生き、どのような性質を持つのか?」 こういった事を考えて見て下さい。 ここに「なぜ」についての本質やヒントが存在します。 まずそもそも生命とは主に、この宇宙の中の地球という星の中に存在する類い希な現象である事が第一に分かる筈です。 生命の生命活動は極めて不思議な現象であり、生命とはまるで物理法則に逆らっているかのような不思議な現象であり、 生命とは大変不思議な存在であるわけです。 そしてこの生命が多数寄り集まって個を形成した存在が我々「人間」であると言えます。 我々人間から生命活動や人間社会を見た場合は、意外とありふれた現象のように感じたり、 人間から見た人間社会とは、結構広くて大きな社会があるように感じる場合も多々ありますが、 しかし宇宙的な観点で人間社会を考えた場合は全くの逆であり、 「人間社会が存在する星など、このだだっ広い宇宙の中に地球ぐらいしか存在しないのではないか?」 と思える程の、超低確率で希少な現象がこの地球上で起こっていると言える訳です。 つまり宇宙のほとんど全ての場所は生命活動に適さない場所であり、 「宇宙の大部分は生命にとって極めて敵対的な環境である」 と言えます。 我々人間はそのような過酷な宇宙の環境で人間として誕生し、細々と生きている前提があるわけです。 私達人間は、地球上の極表面の僅かな面積でしか生活出来ないですし、 地球すらも苦しくて嫌だからと言ってどこか別の場所に逃げる事すらも出来ない脆弱な存在が人間です。 ですからこのような窮屈で苦しい地球の環境で生活する事を余儀なくされている人間達は、 人間らしい日々の日常生活を獲得し、生活を維持する事自体が大変である事も当然ですし、 少しでも日々の生活を快適にする為には、あらゆる効率化や合理化を追求し続けなければならないのも当然なわけです。 つまりなぜかと問わなければ満足に生きる事もままならないという事です。 この辺りが、人間がなぜ「なぜか」と問い続けなければならないのかの本質的な理由と言う事が出来ます。 人間は生命として強く生き残る確率を少しでも上げようとする為に疑わなければならないですし、 優れた答えを選別し続け、問い続けなければならないわけです。 逆になぜと問わない人間は、劣悪な情報を掴まされる傾向があります。 なぜと問えないならば、自分が得た情報を正しい内容か確かめたり、それ以上良い物に仕上げる為の改善や選別なども出来ない人間であると言えます。 疑問を持てない人間は社会の中で劣等や不利な立場に立たされたり、不利益を被る機会が増えたり生存確率も減少する傾向があります。 つまり「なぜか」と問い続ける行為自体が生きる為の原動力であり、人間の社会活動の本質であると言える訳です。 このように、なぜと問う事は生に繋がり、なぜと問わぬ事は死を招くというわけです。

それは判りません。が……。 そういう、疑問を持つ能力、問いを発する能力を持っているからこそ、人類は文明を発達させることが出来た。 そのことは、間違い有りません。

歳をとるにつれて純粋ではなくなっていくからではないでしょうか。子供の頃は「なぜか」と考えることはあまりなかったと思います。それは素直に聞いたことも信用できるからだと思います。ですが大人になり、だんだん情報を信頼できなくなり、疑う気持ちができ、「なぜか」と考える機会が増えたのではないかと私は考えます。