回答(4件)

当時戦争の勝敗は負けた国が賠償金 を勝った国に支払う~って要素で 決まる事が多く日露戦争は賠償金の 支払い発生して無いから実質では 引き分け、に終った戦争なのです。

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ロシア側のヨーロッパ・ロシアから極東への補給路は不完全なシベリア鉄道1本しかなく このシベリア鉄道は軍事品だけでなく極東の一般住民に対する食糧や衣類、燃料、日用品などの一般消耗品の補給路でもある 極東の希薄な人口では満足な予備役兵召集はできないし、兵器、弾薬の備蓄も満足な量を得られていない 第一次世界大戦では攻撃側の突出に対し防衛側が鉄道で敵突出部側面に対し予備兵力を投入し阻止でき防衛側の方が優位になるケースが多い 火力戦も日露戦争の比でなく大量の砲弾を消費し会戦での戦死者もヴェルダンの戦いでのフランス軍は16万人を越え、負傷者、行方不明者を含めると54万人以上 この数では日本陸軍は一会戦で壊滅する もし日本がヨーロッパ・ロシアにあったならロシア軍の幅広い戦線で同時にスチームローラーのように押し潰すブルシロフ攻勢を受けたらひとたまりもないだろう このブルシロフ攻勢を可能にしたのは極東の不完全なシベリア鉄道1本のみの鉄道線でなく緊密なヨーロッパ・ロシアの鉄度網による兵力移動、砲弾などの迅速な集積ができたためだ 一方、日本は船便で短距離で兵力、補給品を大陸に送り込め、狭い国土で予備役召集も迅速に出来た

日露戦争における日本勝利の原因 日本勝利を素直に受け止めての、当たり前の原因を、下掲します。 ① 日英同盟 「最理想に近い好同盟の一つである」(石井菊次郎)。 ② アメリカ世論・金融界を味方に付けることに成功した。 ③ 日本軍が強かったこと。苦戦するも、第一軍から第四軍まで、陸戦、連戦連勝状態となった。 ④ 第三軍の旅順攻略が成功したこと。苦戦の果て、正面攻撃で、旅順要塞を陥落させ、日本軍奉天進撃への、後顧の憂いを断った。 ⑤ 日本海海戦での日本艦隊の圧勝、ロシア艦隊の壊滅により、日本陸軍が憂い無く、続々と、満州の地に渡海することが可能になったこと。 ⑥ 国民精神の団結。少数の反戦論者を含みながらも、国民はよく戦意を堅持して戦争完遂のために団結したこと。大町桂月は、君死にたもうことなかれと歌った与謝野晶子を、「乱臣なり賊子なり」と非難した。 ⑦ 1905年1月の血のメーデ-事件を皮切りに、日露戦争の<終盤>が、ロシアは、第一次革命騒動と化したため、ロシア政府も国民も、最終的には戦争完遂に向けて団結できず、不能状態に陥っていったこと。 ⑧ ⑦のために、アメリカが、対日講和交渉を、ロシアに対して勧め易くなったこと。 日露戦争日本勝利の原因に、以上、大分け、要旨で、8項目が考えられると思います。

1、満州鉄道が完成してなかったから 2、極東司令官が消極的だった 3、近代化が成功しかけていた日本に対してロシアは近代化に遅れていた 4、ロシア革命が起きる寸前で国内が荒んでいた 5、イギリスが嫌がらせしてきた 6、日露戦争は形式上日本の勝利だが実態は引き分けでロシア損してない