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東下りの一部です。 「京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。」

文学、古典13閲覧

回答(3件)

「私は京には住ま「ないでおこう」」 「私は京には住み「たくない」」 「私は京には住む「つもりはない」」 という、「男」の意志なので、 「じ」は「打消意志」。 「東国に、住む「のに良い」国を探しに」 なので「べき」は「適当」です。 「住み「たい」国」「住む「つもり」の国」「住も「うと思う」国」が、すでにあるのなら、「求め(探す)」る必要ありません、 その国に直行すればいいのです。

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この一節は、平安時代の歌人・紀貫之の有名な和歌の一部です。 「じ」は確かに一人称の打消意志の助動詞ですが、「べき」は推量の助動詞で、一人称とは限りません。「べき」は「〜するべきだ」という意味合いを表します。 つまり、「京にはあらじ」は一人称で「私は京にはいない」という意味ですが、「東の方に住むべき国求めにとて行きけり」は三人称的な表現で、「東の方に住むべき国を求めて行った」ということを意味しています。 歌全体の意味は、「私は京にはいない。東の方に住むべき国を求めて旅に出た」ということになります。一人称と三人称の表現が混在しているのは、この歌の特徴の一つと言えます。

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「じ」は一人称の打消意志を示し、「べき」は適当や推量を示す助動詞です。「京にはあらじ」は一人称の打消意志で、話者が京都に住むつもりがないことを示しています。一方、「東の方に住むべき国求めにとて行きけり」は、適当や推量の意味を持ち、話者が東の方に住むのに適した国を探しに行くという意図を示しています。文脈により、主語が一人称であっても適当や推量の意味を持つことがあるため、文全体の流れを考慮して解釈することが重要です。

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