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MMT理論でお金をどんどん刷って行くと、大きな政府になって行き、共産主義との親和性が高まっていくという視点はあってますか?

回答(11件)

違いますよ。MMTが言っているのは、「大きい政府」にも「小さい政府」にも当てはまることです。これは日本語に訳された金ぴか本にもそう書いてあったんじゃなかったかなあ。。 MMTが言っているのは、通貨主権性のある政府は、金銭的な意味で財政破綻に陥ることはない、ということと、政府部門の財政はトータルで見て赤字になるのが当然であって、黒字になるのは経済危機の予兆だ、ということであって、政府部門の国内経済に占めるプレゼンスについては、国民の選択の範囲です。 「大きな政府」とは、国内経済に占める政府部門の役割が大きい状態、「小さな政府」というのは、国内経済に占める政府部門の役割が小さい国。 で、混乱している人がいるんだけれど、政府はいくらでも通貨(政府債務)を発行して支出することはできるけれど、実物資源面ではそうはいかない。だから政府が支出することで国内資源をフル活用することはできるけれど、資源に限りがある以上、資源がフル活用されている状態で、もし国内経済で民間のプレゼンスが大きければ、政府の活動は小さくならざるを得ない。もし政府の活動を大きくすることを国民が選択するのであれば、政府が経済活動をする為に十分な実物資源の「財政スペース」を確保する必要がある。そのためには、租税を大きくすることで国民の購買力を減らすことが必要になる。さもなければいくら政府が支出額を大きくしても、民間との資源の奪い合いになってしまい、実際に政府の経済活動に使える資源は全然増えないまま、ただインフレが生じることになる。 だから国内経済に占める政府のプレゼンスを広げる(「大きな政府」を選択する)ためには、政府の支出だけではなく租税も大きくしなければならない。逆に政府のプレゼンスが小さくてもよい、あるいは小さいほうが良い(「小さな政府」)、というのであれば、政府の支出も租税も小さくてよい。 よく「MMTは、インフレを避けるために増税を主張している」という人を見かけるんですけれど、MMTが言っているのは、「インフレが始まったら増税で回避する」ということではなく、「大きな政府」か「小さな政府」かの選択の話なんですよね。足元のインフレに対処する、という話ではなく、政府の経済活動を国内経済においてどの程度にしようというのか、そういう話です。「大きな政府」を望みながら「税金も少なく」と、言うのは無理ですよ。少ない税金を望むなら、政府も小さく、、、、と、いうこと。 これはどちらかというと、政府の「裁量的支出」にかかわる話です。MMTでは、主流派内ケインジアンとは異なり、景気を刺激するために裁量的支出を操作することには否定的です。もし景気が悪く、民間部門で雇用されない人が生じたときにはいくらでも政府が雇用すればいい。これは「非裁量的財政支出」の話。この「非裁量的財政支出」によって、景気が悪化した時でも、家計の支出は相対的に安定します。その後経済が回復するかどうかは、民間部門に任せればよい。 ですが、国内には、政府が果たすべき公共投資・公共支出の実物的(金銭的、ではなく)役割があります。その金額が「裁量的財政支出」です。なぜ「裁量的」かというと、それをどの程度の規模で求めるかは、政治・国民の選択によって決めることができるからです。極端に言えばJGP(政府の直接雇用)以外は一切、公共支出をせず、政府部門のプレゼンスをなるべく小さくしよう、ということだってあり得る。その場合には景気変動は激しくなるでしょうが、企業部門で使える資源が大きくなるので、政府が経済活動に対する規制や介入をほとんどしなければ、企業や家計が銀行から巨額の借入をすることで、急激な経済成長を実現することも可能かもしれない。逆に政府が民間経済に対する規制監督を強め、民間投資に比べ比較的大きな公共投資を行えば、雇用や景気は安定するかもしれないけれど、民間の経済成長率は低調な状態になるかもしれない。そのどちらを選ぶかは、国民が決めれば済む話です。 JGPが決めるのは、政府部門の「入金」と「出金」の「差額」、裁量的政策が決めるのは財政の「絶対的規模」です。「大きな政府」か「小さな政府」かの選択は、この後者の問題になります。 レイの金ぴか本で触れられていたと思うのですが、「自分自身も含めMMTの多くは『大きな政府』の支持者だ。しかしMMT自体は『小さな政府』にでも同様に当てはまる」としています。現に一番最初にモズラーが公表したパンフレットの中では、公共事業を増やすことよりは減税が主張されていました。公共事業なんかしなくても、減税だけでアメリカの経済は十分立ち直る、ということです(この時点では、後のMMTのように、経済成長そのものを疑問視する視点はモズラーには希薄だったと思います)。ただしいくら民間経済活動が活発になっても、雇用にありつけない人は出て来る。政府はこうした人たちには職を提供しなければならない。これがモズラーの当初のスタンスでした。 MMTが「政府部門は常に赤字でなければならない」というのは、そうでなければ民間の営利企業部門の利潤や家計の純貯蓄を国全体として確保できなくなるからです。誰かの収入は他の誰かの支出ですから、民間の内部だけでは持続的には利益も純貯蓄も発生するはずがないことになる。それにもかかわらず短期的には利潤が発生するのは、投資や繰延資産など、支出をする側の企業では支出を費用計上せずに資産として繰り延べるのに、受注側ではそれを当期収入に計上する、と言った、受け手と払い手の間の不整合(「発生主義会計」)があったり、金融規制緩和の結果、詐欺的金融商品によって家計部門の赤字が許容されるようになったことによります。しかし対外経常収支黒字が継続的に見込めるのでもない限り、これだけでは必ず行き詰るわけで、そのために政府は赤字になることが普通だ、というわけです。 ですから、民間経済主体の成長であっても、結局政府の赤字の累積は必要になるんですよね。現に規制緩和や政府部門の縮小の結果、アメリカ経済はゴルディロックス景気からITバブル、サブプライムローンバブル期を通じて、急激な経済成長を遂げたわけですが、結局、大きな金融危機を引き起こすこととなり、政府が巨額の支出でその穴を埋めざるを得なかった。小さな政府に向けて民間を自由にさせたところで、結局、政府の赤字支出は必要になる(むしろ巨額になる)わけです。 この点に関していうと、MMTは、世界金融危機に際してアメリカ政府が ”Too Big To Fail” として、リーマンを除くその前後に巨額の資金で金融会社を救済したことには批判的です。政府がするべきは、決済システムという重要なインフラストラクチャーを守ることと、国内の雇用を守ることだった。それができればおのずと必要な企業(生産活動)も守られる。この面では、MMTは完全に市場に任せるべきだった、としています。ただし政府は「マーケット・メーカー」として、市場に「コリドー」を作る必要がある。コリドーというのは価格(金利)に上限と下限を設定する、という政策ですが、これを家計の収入である賃金に設定する必要はある。まともな賃金水準の下で「働く意欲と能力のあるすべての人が複数の就業機会を見つけることができる」ように維持すること(「国民の、働く権利を守ること」)が「政府の義務」である、と考えているわけです。それを実現するのがJGPだ。 ところが実際にはアメリカ政府は、巨額の財政支出をして巨大金融機関のCEOたちの報酬(一人あたり1億ドル単位)を守ることに専念し、国民の働く権利や必要な産業を守ることは放棄した。政府は、その通貨供給能力を使うことで、財政破綻の懸念なしに、雇用と家計の所得が守ることができたし、その支出によっておのずと必要な産業は守られたはずなのに、そういう選択はせず、国民生活を犠牲にして、民主党の支持基盤、共和党の金蔓を守った。この巨額な支出が共産化へ結びつくかどうかは、私にはわかりません。 大きな政府を目指すのか、小さな政府を目指すのか、あるいは、うわべは小さな政府として労務者には自己責任を求め金融業の規制は緩和するが、いざとなったら「Too Big To Fail」と言って巨額の支出で超富裕層の資産と所得を守るのか、どれを選択するかは、国民にゆだねられる。 ただいずれにせよ、通貨主権性のある政府は常に支出を通貨発行で賄っているのだから、金銭的な意味で破綻することはない。政府部門は赤字になるのが正常だ。政府が大きな経済的プレゼンスを維持するには、同様に大きな課税が必要だ。小さな政府でよければ税金も少なくてよい。それはどちらでも構わない。そういうことです。

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繰り返しますけれど、 政府の支出(民間への純金融資産提供)と、政府の税収(民間の純金融資産の破壊)の差額の話、 と、 政府の支出と税収それぞれの絶対額(規模)の話、 を、ごっちゃにしないように。「大きな政府」「小さな政府」は、後者の話です。これは大きくても小さくても構わない。差額のほうは、政府の支出が大きい方が正常だし、その差額は民間の必要性(民間内部で職を得られなかった人)などによって、決まる。景気が沈滞すれば、この「差額」のほうは大きくなるでしょうが、それが国民経済全体に住めるプレゼンスがどの程度になるかまでは、政府の決定ではなく、民間側の事情にかかっている。

まあ、私も共産主義ぽいものと認識してます。ちなみに、ric さんの話が面白いだけで、一冊もちゃんとしたの読んでないので間違いがあることを断ります。 私のMMT理解は下記です。 裁量的なマクロ政策は良くない。 全ての支出を固定するので、インフレにならない。 ケインズ経済学とは違う。 失業を調節弁にしてインフレをコントロールするのは犯罪的だ。 国債発行は効果が無い。 JGPはオプションじゃなくて、MMTの基幹システム。 あと、日本版MMTは都合良くMMTを切り取って、どんどん国債発行しようと言っているだけで、きちんとした議論の障害になっているのではと思います。MMTは、そうした裁量的な財政政策は余計に問題を悪化させるとしている、と理解しています。 MMTは支出が固定され無駄使いしない、失業がないので支出は従来通りできる。政府は行き当たりばったりに景気や雇用対策をしない(する必要がない)、予定調和になるからインフレにならないと理解しています。

リッキーさんダンマリですね。 そうですよ。 MMTの主張の一つに、政府支出に制約はないというのがあります。 つまりMMTの主張は要するに、政府は無制限に通貨発行権を駆使していかようにも支出して雇用を保証せよと言っているのです。これは公的セクターの際限なき拡大を目指す政策であって、究極の社会主義、共産主義を目指すものです。 じっさい、社会主義国においては紙幣はすべて本質的に政府紙幣であり、中央銀行はバランスシートを公開せず、スターリン時代は国債も必要なかったし、失業もない社会でした。 これがMMTの理想社会です。

新型コロナウイルス危機において、アメリカはMMTに基づく大規模な財政・金融政策を実施しました。アメリカでは従来から“ヘリコプターマネー政策”として共通する考えの議論はありました。 これらは政府が自国通貨を発行できる限り、財政赤字を拡大しても問題ないと主張する理論です。かつてはマイナーな理論でしたが、コロナ危機を契機に、主流派の経済学者や政策当局者もMMTの考え方に注目するようになりました。 2020年、ワシントン・ポスト紙では、アメリカがMMTの考え方を急速に受け入れたと指摘し、英紙ガーディアンでも政府の考え方はMMTと合致していると評価しました。 MMTは、政府が直接資金を供給することで経済を活性化させられるという考え方を示しており、コロナ危機のような緊急事態において有効な政策ツールとして注目されることになりました。 MMTについては以下HPが参考になるでしょう。 ランダル・レイ「現代貨幣理論への“カンザス・シティ”アプローチ:成立史から辿るMMT入門」(2020年7月) https://econ101.jp/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%80%8C%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E7%90%86%E8%AB%96%E3%81%B8%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%82%B9%E3%83%BB/

あまり関係ないでしょう。 MMTは、低インフレ状態が前提の理屈で、デフレなら貨幣を増やしてデフレを止める。インフレが強くなれば、増税して市場の貨幣を吸い上げ焼却すれば、貨幣が減りインフレが止まる。としています。 ところで、「消費税を増税します!でも、国が何かを買う訳でもなく、増税した金で国民に何かする訳でもありません。つまり国民から金を吸い上げる為だけに、消費税アップします!」と言って賛成する人いるでしょうか? MMTは正しいかどうか以前に、実現不可能な理屈ですよ。