回答(3件)

義経の肖像画で恐らく一番有名なのは、丸顔で目が切れ長の座像だと思いますが、これは江戸時代に描かれたものと推定されます(作者不詳ではっきりしたことは分かりませんが)。 つまり義経の没後数百年後に見知らぬ誰かが描いたものであり、しかも他に手掛かりとなる資料や肖像画も確認されていません。 というわけで、本当に描いた人の想像のみで描かれており、あの肖像画には実際の義経の外見的特徴はまったく反映されていないと思われます。 もともと義経は見た目についての記録がまったく残っておらず、外見については完全に不明なんですよね。 だから肖像画もあてずっぽうで描かれたものでしょう。 義経像として伝わってはいますが、もしかしたら全然別人を描いたものかもしれません。 「出っ歯の小男」とか、逆に「女性のごとき美貌」とかは、どれも軍記物語や伝奇物語の記述なので、これらも創作ですしね。

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例えば明治初期に日本を旅したイギリスのイザベラバードさんと言う方が日本のことを あんなことこんなこと色々と書いていますけれど 日本人の顔の区別はのっぺら顔で誰も同じような顔でとても区別出来なかったそうです 更にこの方は朝鮮 などにも旅行されていますけれど 中国人も朝鮮人も日本人も 一見しただけでは区別出来なかったとかかれています と言うことですから それらしく書いていたら 日本人であり 身につけるものを変えたら 中国人であり 朝鮮人になりますね つまりは肖像画も同じ それらしい装具をつけたら義経さんなんです

まず、肖像画の真贋以前の問題として、日本には、あるいは西洋でもある時点までは、写実主義はなかったので、絵が実物と似ているという必要性が考えられておらず、特定のイメージやら、あるいは絵師のタッチというだけで、実物と似せようという努力すらしないし、そんな考えがないという時代が長いということを知っておかなければなりません。 つまり、源義経の肖像画として描かれたとしても、本人を前にして描いたものでは絶対にないし、本人を絵師が見たことがあったかどうかもよくわからず、通常は「仏具」として故人の供養を目的に遺影を留めるというだけのものであり、仏画の観音像と同じだったので形があればなんでもよく、最後に念仏を唱えて魂を入れて本物にするという”テイ”で儀式をやりますから、絵は形式にすぎなかったのです。 で、義経の肖像画の真贋は、単に中尊寺に納られた巻物が本当に、源義経を描いた”つもり”のものか、あるは別人を描いた巻物が、誤伝によってすり替わったのか、という”だけ”が問題になります。もし違う場合も、違わない場合も、その姿が源義経であるというわけでは「ない」のです。真贋は単なる美術品の価値、骨董価値に関わるだけで、義経像には関係ないです。 で、「江戸期に描かれた」中尊寺の義経像には特に真贋問題は疑義がでていません。