【仏教理解度テスト】

補足

回答者の皆様、回答ありがとうございました。 「旗が動いている」と「風が動いている」はどちらも悟りを開いていない普通の人の考え方です。 それに対して「心が動いている」は悟りを開いた人の見方です。 私たちは自分の外側に世界があると信じています。しかし、本当はそうではないと悟ることが仏教の悟りです。 お釈迦様は菩提樹の下で坐禅をして深い禅定に入っていると、明けの明星の光が目に入った瞬間に明けの明星が自分だという主客未分の体験をされて悟りを開かれました。 主客未分とは主体と客体の分離は実際にはないということです。つまり明けの明星を私が見たのではなく、明けの明星を見たという体験そのものが本当の自己なのです。 道元禅師が「身心脱落」とおっしゃったように肉体も心(心だと思っていたもの)も本当の自己ではなく、今ここで実際に体験している世界そのものが本当の心であると悟られ、この人間ではない本当の自己を仏教では仏と呼びます。   仏についてはこちらもご参照下さい。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10297872445

宗教259閲覧

ベストアンサー

この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう

w_pさんさすがですね。 三界唯心、後に唯識になりました。世界は心でできているという悟りです。そしてこの本当の心が仏心、つまり仏です。私たちは本当は人間ではなく仏であると悟ることで生老病死の苦しみから解脱します。世界が生まれたり死んだりするはずがありませんので。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答ありがとうございました。

お礼日時:11/14 9:25

その他の回答(3件)

ニコるんが立ち上げろっていうから、立ち上げました。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10306642650 立ち上げたら、あいつ来ないってどういう事? zenさん、遊びに来てよー

zenさん 「父母未生以前の本来の面目」が分かっておられないのに、「理解度テスト」とは何ですか? 六祖壇経を読んでいるほうが安全です。 慧能大師を扱うのは、かの方が真のブッダだからこそ警告します。zenさんに悪気は無くとも、ウッカリ間違ったら恐ろしい悪行を積む事になります。法華経では謗法と言われているものです。 火事を考えます際、たとえ小さな火だとしても甘く見てはイケナイのは分かりますでしょう。 ブッダはやさしさの究極を体現した存在です。そのエピソードも、未来に現れるであろう修行者に対して、まるで、その人が修行を完成させる為に伝承されていたエピソードにすら成り得るのです。 そうした時、その二人が積まれた功徳は果てしないものとなります。ブッダとは、功徳を積むチャンスを形成してしまう真にやさしき存在です。

ヨルさん、慧能大師の「本来の面目」はあなたが思うほど簡単なものではありません。 「本来の面目」は初関の公案といって、臨済宗では修行者に最初に与えられる公案です。そしてこの公案の回答が老師から認められたら悟りが認定されます。だから、あなたが思う本来の面目はたぶん間違いですよ。

これは一見すると三つとも誤ったことを語っていないと思われます。 しかし、各々の着眼点により判断と帰結には違いがあります。 一人目は現在の旗の動きに着目し、今は動いている状態にあると指摘しました。 前は旗はそれほど動いていなかった。 しかし、今は旗の動きが増している。 二人目は条件に着目しました。 風を条件とし旗の状態の変化が齎されていると指摘しました。 旗が条件なく動くという事はない。 旗を動かしているのは風である。 三人目は現在の心の動きとその条件に着目しました。 前の心はそれほど動いていなかった。 しかし、今は心が動揺している。 心が条件なく動くという事はない。 心が心を動かしている。 であれば、(心により)心が動いているというのが変わらない真理です。 何か三段論法っぽくて教育用に作られた話と思われますが。