かなが捕まらない直接の理由は、多くの方が御説明されている通りと思いますが、質問者様の意図は、なぜ共感できない結末(の一歩手前であるが)であったのか?という意味にもとれたので、そちらの方を記します。
それは、作者が狙った表現が、「読者が共感し易い結末」ではなく、悲劇として描くことで「読者の心に浄化を与えること」であったから、ではないでしょうか。かなの尋常ならざる行動は、物語における彼女の人格、性質に忠実であったと思います。(おそらく「ビンタする」という生前の会話こそ、作者の狙った伏線であった可能性もある)
つまり、身近な人への深い想いが消失する悲劇を出現させることで、我々読者に日頃当たり前と感じている幸せの実感を与えようというドラマ効果を生み出したかったのではないかと、個人的には推察します。
これは、ギリシャ悲劇以来、ドラマ構築理論のセオリーとされる技法ではあるけれど、連載漫画がその性質上取り入れることは非常に稀であり、「共感できる展開ではない」ことによる炎上の所以でもありましょう。
然しながら、個人的に「推しの子」は、かつてない野心をもった意欲作であり、恐らく連載漫画表現において悲劇のドラマを描くことに成功した名作であると信じたいです。
追伸:様々な登場人物の様子も気になるところですが、ドラマ効果を描くストーリーには不要との考え方があります。そこで、今後推しの子のスピンアウト作品が発表されることを個人的には期待しています。