「正しい」とは何に対してか?ということになりますが、
「土佐の国」に行った日記ですから、その作品を指すときは「土佐日記」が正しいと思います。
ただ、紀貫之の自筆原本を正確に写したとされる写本では「土左日記」(土に、が打ってある)となっています。古い時代に「土左」という表記で、平安時代中期には「土佐」になっていたとされていますので、古い表記が「土左日記」新しい表記が「土佐日記」で、一般には研究書などでも「土佐日記」と表記される、でよいと思います。
土佐日記は一応、フィクションの形をとっていますから、主人公は、紀貫之に仕えている女性(女房)です。
<京にて生まれたりし女子、国にてにはかに失せにしかば>
京都で生まれた女の子が土佐の国にて急に亡くなったので、
幼い娘を連れて行ったくらいですから、妻も含め家族みんなで土佐に赴任しています。
女性と偽り…といっても、これを読む人は貫之が書いたものと知っていたでしょうから、女性が書いたと騙したということではありません。当時、仮名で文章を書くのは女性で、男性は漢文でした(恋文とか個人的な文章は男性も仮名で書きましたが)だから、仮名で書くということで主人公を女性にしたのだと思われますが、
同時に、貫之本人ではなく、女房が書いたという形式にしたことで、「ご主人はこんなふうに言っていました」というように書かれることになります。自分のことをちょっと揶揄したり、自分で自分を褒めたりという、遊び心も感じられます。
<家に預けたりつる人の心も>
これは色々な人が、こうではないかと推測しているけれど、はっきりこうという結論はないと思います。当時はこういう言い方をしたのかもしれません。