ベストアンサー
こんにちは。 簡単に言えば、「マムルーク朝は多数派スンナ派の最高権威のイスラーム王朝である事を見せつけたかったから」です。 少し詳しく回答しますと、1261年にフラグ軍の侵攻を受け、バグダッドで殺害されたアッバース朝最後のカリフの叔父と自称する人物がダマスクスに逃げて来ました。そこでバイバルスは、その人物を、「アッバース家のカリフ」と勝手に決めて、バイバルス自身、カリフからスルタンの地位を与えられた事にして、イスラーム世界、特に多数派スンナ派の最高権威王朝と勝手に決めた訳です。当然、聖地メッカとメディナも支配すれば権威はさらに上がりますので支配下に置きました。 大学入試レベルでは、マムルーク朝はオスマン帝国に滅ぼされる1517年迄、「イスラーム世界の最大勢力」とされています。 ファーティマ朝がカリフを自称して、アッバース朝カリフ、後ウマイヤ朝カリフの3人のカリフが並立したのと同じで、「ムハンマドの代理人」たる「カリフ」の権威は、イスラーム世界の最高支配者になる為には絶対に必要だった訳ですね。 因みに、イスラーム教スンナ派の正統神学では、現在に至る迄、このバイバルスが勝手に決めたカリフを認めていません。
この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう
質問者からのお礼コメント
詳しくありがとうございます‼︎
お礼日時:2017/12/24 15:56