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東日本大震災から14年経ちました。 NHKスペシャル「海辺にあった、町の病院~震災12年石巻市雄勝町~」を見て、色々考えてしまいました。 観てない方へ、概要をご説明致します。

回答(6件)

難しい問題です。 あまり詳しくは書けませんが、この病院に勤めていた方が知り合いにいます。 たまたま非番だったため自宅におり、大津波警報の発令を聞き、その方は「入院患者を最上階に運ばなくては」と病院に向かいました。 しかし向かっている途中で津波が押し寄せ病院にはたどり着けなかったため、その方は無事でした。 つまり「自分の勤務先の最上階なら津波は来ない」という認識だったわけです。 私はこの話を知っているからこそ、きっと病院にいた方々は自分だけ裏山に逃げて助かるかこのまま患者と共に一生を終えるかという選択肢ではなかったのでは?と考えています。 「ここまで患者を移動させれば助かる」その一心だったんだろうと。 だからこそ、雄勝病院だけじゃなく、東日本大震災であんなに多くの犠牲者が出たんだと思うんです。大川小学校だってそうです。 今ある、こうしておけば、こうだったら…というのは結果論に過ぎず、だからこそ、これからの災害に教訓として伝え続けていかなければと思いますね。

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東日本以前なら患者を優先したと思う 以後は自分の曲が身が最優先と規定が出来たので極力患者を救う努力はするが最終的には規定に従う

>貴方が職員なら、どうしますか? 上司の指示・トップの指示に従うしかない、と思います。 なので、どんな職場でも、非常時には、トップ(上司)の危機管理能力の有無がとても大事になります。 ちなみに、あの震災の時にあった原発事故の時、国のトップ(菅直人総理大臣)の危機管理能力があまりにアレだったのであんな大災害になっちゃったのは、有名な事例です。

そういう状況では、基本的に、「限界を見極める」だの「寄り添う」だのなんてことは不可能なのです。 机上の空論です。 いわゆる正常性バイアスが働き、まさかそんなことにはならないだろうと思い、目の前の患者を助けることに夢中になっているうちに、一瞬で水が来て、すべてが手遅れになった、と考えるのが自然ですよ。 実際、当時でた津波警報は6メートル。 病院の人たちは、津波のリスクを実感できず、最悪でも三階まで行けば大丈夫だと判断し、懸命に患者の避難を行おうとしたのです。 けれど、その瞬間に16メートルの津波が襲来し、建物全体を呑み込んたのです。 もし最初からそんな大きな津波が来るとわかっていれば、ちがった結果になったでしょう。 https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20210227-OYT1T50241/

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