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東京藝大を受験する人たちはみんな小さい頃から受験するその日まで練習に命を捧げてきたのだと思いますが、それでも残念ながら落ちてしまう人がいますよね。

補足

私は受験生ではなく、興味として意見を聞いてみたいだけです。

1人が共感しています

回答(6件)

運ではなく、その人の家庭環境まで含めた才能です。 最低限の技能と知識が必要なことは当たり前ですが、 芸大、音大を優秀な成績で卒業しても生活は出来ないので、 それでも困らないであろう人だけを選びます。 生活の為に稼ぐ必要が無い人や、卒業後は他の職業に就く人です。

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家庭環境を運ではなく才能と呼んでしまうことには同意できませんが、回答者様はそういう考えなのですね。 あと芸大・音大は「生活の為に稼ぐ必要が無い人であること」「卒業後は他の職業に就く人であること」が選考基準になっているとのことですが、それは本当ですか?回答者様は何からその情報を得たのでしょうか?受験生だったことがある、あるいは合格者の選定に関わったことがあるとかでしょうか?それとも回答者様の個人的な予想でしょうか?

音楽だけ… スパッとは答えられませんね。 まず受験に至るまでも運です。ただ才能があるだけでは駄目で、藝大受験のレールに乗れるか?です。幼少期からの英才教育、ある程度の学力、ソルフェージュや副科ピアノ…そして何より藝大受験に対応した先生と出会えるか?これらが複雑に絡み合います。 専攻が上手いだけでは駄目ですし、上手いと言っても「藝大っぽい上手さ」でないといけません。藝大に行かなかった、行けなかった人でも世界的に評価されてる人も数多くいらっしゃいます。 加えて倍率の高さです。持ってる実力は高くても、当日の調子、試験官の好み、選択課題の得意不得意など「小さすぎる要因」で合否が別れるのです。「あの子が落ちたの!」と思うような事があるのですが、そういった当日の「運」で差がついてしまうのが藝大受験の難しい所です。 もちろん個別の才能も必要です。藝大出身者が優秀なのは間違いない。でも音楽の才能自体は各私立音大の上位層や叩き上げプロたちも同程度のモノを持っていると思います。ただ結果として、藝大合格者の総合的な音楽の能力は日本どころか世界の18歳でトップクラスなのは間違いないです。それなのに藝大が世界的に音大として有名でないのは大きな課題だと思います。東大と一緒ですね。

なるほど。 受験する以上才能があることは当たり前でそれを大前提とした上で、さらに幾つもの試練を乗り越えられる強大な運を持ち合わせた選ばれし者たちが藝大の門をくぐるわけですね。

うまくあなたが望む答えを書けるがわかりませんが・・・ 美術の方ですごく分かりやすい例をあげれば・・・ 自分の女友達は高校生になった時、母親から家から一番近い大学に行きなさいと言われて、実際に家から近い大学まで歩きました。 そして東大よりも僅かに東京藝大の方が近かったので、藝大の日本画に現役で入りました。もちろん彼女なら東大にも合格したと思います。 美術の世界のひとたちって、そういうとんでもないひとたちばかりで、あまり一般のひとが思うようなひとはいないです。 子供の頃から目指すひともいれば、高校から目指すひともいます。そして池田満寿夫さんのように藝大に何度か落ちても世界的な芸術家になるひともいます。 運と才能についてですが・・・ 美術の世界では昔から「10年はやってみなさい」という事を言われます。 それは10年掛けていい絵を描けるようになりなさい・・・という事ではなく、最初から圧倒的な才能があるのは当たり前で、10年間もチャンスを逃すようなら諦めた方がいい・・・という意味です。 チャンスをものにするのも大事な才能なわけで、美術の才能って生まれ持ったものが全てで、実際は途中で目覚めることも芽生えるような事もありません。そして運を持っている、チャンスをものに出来るという事も、生まれ持ったもので、途中で身につくものでもありません。 つまり美術の世界では才能があるのは当たり前で、それがなければスタート地点にも立てないわけですから、あとはチャンスをものにできる強い運を持っているのかどうかです。どっちも生まれ持ったものなのであとからどうにか出来るものではないですし、片方だけではプロにはなれないです。 もちろん藝大に運だけで合格するひとはいないです。 常に才能と運は両方なくてはならないわけです。 そして池田満寿夫さんのように藝大に入れなかったひとも、後から考えれば運なわけですよね。入れなかったからこそ・・・という作家もたくさんいます。

運や才能はあらゆるところに散りばめられていて、どちらも欠けてはならず、残念ながら落第となってしまった方は受験の時点ではどちらか片方、あるいは両方に恵まれなかったということですね。ただし才能さえあれば、受験がダメだったとしても運が巡ってきた時に花開くこともあるのですね。なるほど。

才能と運の両方じゃないかな。 と言うのは、私のバイオリンの先生は、東藝大卒で海外留学もしてます。 才能が有ったから大学の先生のレッスンに通えたし(関西から週末に夜行バスで東京へ)そういう事が出来る恵まれた家庭に生まれた(県でも有数の資産家です) 逆に言うと、才能が無かったら大学の先生のレッスンは受けられないと思う。 運が無くて、貧乏な、いや、普通の家庭に生まれたら東京までレッスンに通わせてもらえない。 けど、私学みたいな費用は掛からないから、、、特別な才能の人は狙い目かもしれない。 しかし、よくよく考えると、才能をもって生まれることが運かもしれないね。

なるほど。 東京藝大を受験する人はみんな努力をしていると思いますが、たしかにその努力をさせてもらえる家庭に生まれることも運ですね。才能を活かすためには運も必要ということで両者は繋がっているのですね。

運と才能を比較する人っているんですね。

なぜ質問に対する回答にならない回答を送ってくるのでしょうか?「運と才能を比較するべきではありません」と回答をくださったら良いのではありませんか?理由付きで。それができないならスルーしたらいいのに。