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創価学会がなぜあんなに忌み嫌われているのか誰かバカな私にも分かりやすく具体的に教えて下さい!

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回答(9件)

答えを先に言うと良薬口に苦しです。 学会員ですが、クリスマスもしますし正月も節分もなんでもしますよ。 題目で過呼吸にはなるとか言っている方もおられますが、それはないです。1時間も唱えればスッキリするし、かえって健康になりますよ。 知らない人間が嘘を言うものではない。

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私の身近な人で熱心な創価学会会員の人が2人いますが、いずれも不幸になりましたが、本人はそう思っておられないようです。そのうち、1人の例を紹介します。随分昔の話です。 私が子供の頃は家が貧しくて長屋(1軒家でなく、平屋のアパートみないなもので、隣との壁は薄い)に住んでいましたが、ある日、隣家の旦那さんが「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、・・・」と言い始めました。私の親は「創価学会に入られたんだ、困ったことになった。」と言いました。 確かに聞いてても面白くないけど、しかし、もの珍しいので次にどうなるのか聞いていたのですが、南無妙法蓮華経が続くだけで次がないです。いつになったらお寺のお経のようになるのかと思っていましたが、その日は結局、1時間くらい南無妙法蓮華経だけで終わりました。 次の日から、旦那さんが仕事を終わって夕食が終わると(長屋はそんな隣の雰囲気もわかる)すぐ、南無妙法蓮華経が始まり、毎晩、2~4時間の騒音に悩まされることになります。親は創価学会に目をつけられるのを怖がって文句を言わないので、兄が壁越しにうるさいとどなると、そのときだけ声が小さくなりますが、すぐに大きな声に戻ります。 後に知ったのですが、南無妙法蓮華経を大きな声で繰り返すと過呼吸(過酸素)状態になって意識が朦朧となります。念仏主義はこの現象を、極楽浄土に近づく、仏様の御威光を感じるとか言います。 南無妙法蓮華経と言えば言うほど、そんな気持ちになるので、非常に熱心に念仏を唱えるようになります。休みの日は最悪で朝晩2回苦しめられました。 本人は、その念仏が自分も周りの人も助けることになると信じてしまっているので、手がつけられない事態になりました。隣家の私達が困ったのですか、旦那さんの家族も家族の中心人物が念仏を唱える以外何もしなくなったので相当困ったようです。 最初は奥さんが自殺しました。それを自分の信仰が足りないためと反省したのでしょう。念仏の時間がさらに増えました。次に娘さんが家を出て、行方知れずになりました。1人で住むには広すぎると思ったのでしょう。しばらくして、引っ越して行きました。

創価学会員の中には ↓ 創価学会をヤメると後の生活が不調になる。 「仏罰」といえばこれが仏罰に該当する。 本来ならば今、世の内に消滅できたであろう悪業を 来世以降に持ち越すことになり、よって、幸福になることは無い。 信仰を捨ててしまえば不幸になってしまう。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12287183257?__ysp=5LuP572w 回答者1152111582さん2023/10/9 9:24 ・・・という人がいます。 問題は、まるで人生の全ての良いことは 創価学会の教えを受け入れなければ不可能・困難であるかの如き 独善的な思い込みにあります。 人を愛することも、自己の独立と自由を護ることも、失敗から立ち直る勇気も、改善と創造の仕事も、創価学会なしに人々はやっているのです。

個人的に日蓮は嫌いです ↓ 『王舎城事』 (忍性(良観)が住職とするお寺が火災に遭った時) 今生に法華経の敵(忍性のこと)となったから、皆の人の見せしめとするようにと梵天・帝釈・日月・四天等に申しつけてあったのです。私が法華経の行者であるか否かはこの火事の一件をもって見ればあきらかです。

何も知らない普通の人でさえも、ある宗教団体の悪口を聞けば、何となくそれを受け入れてしまう。 本当かどうかは確かメモしていないのに、何回も聞いていると、だんだん、その悪口がその宗教団体のイメージになっていく。 人とはそういうものです。 私も、創価学会に入会するまではそうでした。 創価学会に対する悪評を聞き、確かにそうだよな、だから宗教はダメなんだ、などと納得していました。 しかし、創価学会に入会してみると、その悪評は作り話あるいはうがった見方、デマであることが分かりました。 例えばですが、先回答者のaguさんの回答は100%デマです。 直接、やりとりできるのであれば、彼を論破できます。 何も知らない人は、正しい創価学会を知らないから、何度も聞くうちに頭に刷り込まれてしまいます。 その刷り込まれたデマは、いつの間にかその方の知識となり、真実であるかのように思い込んでしまう。 悪口と言うものは簡単に信じ、称賛を聞いても信じない。 そう言う人間が忌み嫌っているだけのことに過ぎません。