仏教の世界では、修羅道はなぜ三善道の中に含まれているんですか?

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悪と戦うのも修羅です。警察が悪人と戦うのも修羅。弁護士と検察の戦いも修羅。スポーツも修羅。政治や様々な学会での論争も修羅。どちらだ善でどちらが悪とは言えない戦いも、戦う気持ちそのものを修羅と言うからです。

南伝のパーリ経典では、四悪趣、すなわち四悪道とされていますね。 231 [Ⅰ]自身を実在とみなす見解と[Ⅱ]疑いと[Ⅲ]外面的な戒律・誓いという三つのことがらが少しでも存在するならば、かれが知見を成就するとともに、それらは捨てられてしまう。かれは四つの悪い場所から離れ、また六つの重罪をつくるものとはなり得ない。このすぐれた宝が<つどい>のうちに存する。この真理によって幸せであれ。 (スッタ・二パータ) 四つの悪い場所とは、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅であり、六つの重罪とは、いわゆる五逆罪と、異教の師に従うことと注釈されています。

実際私も修羅道が悪道に含まれないのが不思議に思う事が有ります。 北方の仏教は輪廻転生の道を六つに分け、修羅道はその内の良い方と分類されれています。現代の私達にとって、戦いに明け暮れている修羅道がなぜ良い行先になるのか理解しづらい所があります。 けれど、どうも仏教で考える修羅道は私たちがイメージする苦界ではなくどちらかと言えば天道に近い境遇らしいのです。ただ、戦いが頻繁に起こす事と、恐ろしく不味い食事しか出来ない事で、人道より下に分類されている様です。 ちなみに南方系の仏教だと輪廻転生先の分類を「天道、人道、畜生道、餓鬼道、地獄道」の5つに分けて修羅道は無いらしく、個人的には北方系の修羅道に当たる存在は天道や餓鬼道に含まれているのではないかと思います。