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古史通或問では 対馬國:対馬, 一支國:壱岐, 末廬國:國松浦郡 奴国:那珂郡 伊都国:怡土郡 投馬国:吉備 邪馬台国:奈良 後の『外国之事調書』では 投馬国:有明? 邪馬台国:山門郡 それで死んだ。 他は忘れた。 本居宣長も九州説。 ※新井白石の大チョンボは固有名詞を500年後の隋・唐音で読んだ事。 当時は漢〜唐までが上子音で一緒に発音。 現在は晋までと鮮卑王朝に代わった隋・唐とは分けている。 主には 馬=バで騎乗・乗馬のバ。 奴=ドで匈奴、弩級のド すなわち邪馬台国はヤバ台国 奴国はド国。 江戸時代に存在した20程の耶馬渓はヤバ渓と読み続けている。明確な資料残る大分の耶馬渓は頼山陽が山国谷から中国の耶馬渓になぞらえヤバケイと読まれている。大阪高槻の耶馬渓は由来不明。幕末には耶馬をヤバと読んでいる。 新井白石の読み改めないと300年進歩していない事になる。
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新井白石は、魏志倭人伝に記載された30か国を、主に九州地方の諸国に比定しました。 具体的には、以下のように比定しています。 ・邪馬台国(やまたいこく)を九州北部の筑紫国 ・伊都国(いつくに)を豊前国 ・新羅国(しらぎ)を対馬 ・卓渉国(たくしょくこく)を壱岐 ・狗奴国(くぬくに)を対馬 ・弥呰国(やまとくに)を山門国(現在の山口県) 新井白石は、魏志倭人伝の記述から、当時の倭国が九州を中心に広がっていたと考えました。その根拠として、九州には古墳が多数存在することや、九州と朝鮮半島が地理的に近いことなどを挙げています。
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