織田信長の生まれた尾張の国って当時は一番豊かなところだったのですか。 面積はちっちゃいですが、海もあって肥沃な土地だったのですか。 六十余州の中でも一番豊かな土地だったのですか。

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尾張は濃尾平野という場所でコメの収穫量も他の地域より比較的多かったし、 信長の弾正忠家は熱田神宮や津島湊を治めていたので、門前町や湊町からのあがりもあった。

日本の令制国にける国は面積ばばらばらのため、面積の広い陸奥や出羽や武蔵などが石高は最大になります。尾張が最大というわけではないです。 当時、商業活動の税がほぼなく、商人の富や国の経済力を推し量る方法がありません。 だからどの国が一番かは難しい問題になりますが、尾張が豊かな国だったのは確かですね。 近江は南北、東西で別の勢力が押さえており、信長以前は分裂していました。播磨は5県ぐらいにまたがっている広い場所で、大小勢力が割拠してました。 信長が頭角を現したのは、尾張が豊かな場所というだけでなく、その尾張を統一したということが大きいです。