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ずっと自問自答しているテーマなのですが 自分が本当に存在している客観的な事実を 自分が納得できる科学的な証明方法をご存知の方、ご教授お願い致します。

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回答(7件)

証明方法というか普通に理屈で考えて、今いる自分が本当に存在しているわけではない”幻想の自分”だった場合でも、その幻想を支えるための基礎である”本当”は必要となるわけで。 幻想とか、仮想とか、マボロシ~!とか、どんだけ~!とか、背負い投げ~!とかは、本当とか真実が支えているからこそ生まれる概念であるため、今いる自分も本当、真実に支えられている存在だということが確定している。 そこに証拠なんてものは必要なく、理屈の上で本当に存在している自分であることは確信できるはず。

人間の認知自体が全て脳を介しているので、完全な客観的認知は不可能です。

数学の理論体系は「完全性」を持つと信じられていた時期がありました 「完全性」を持つとは、数学上のあらゆる問題は肯定的にせよ否定的にせよ証明可能だとする主張を指します これは、数学者ヒルベルトによって提唱された証明可能性に関する予想です ところが、それはゲーデルの不完全性定理の登場によって完全に否定されてしまいました ゲーデルは、厳密さの権化とも呼べる数学の形式体系ですら、その体系内では自身の論理の無矛盾性を証明出来ないという、驚くべき結論を導き出しました この議論は、あなたの問い「自身の存在認識の確実性を自身の認識で証明することが出来るか」に通じています 答えは「否」となります 何故なら、認識自体の存在証明も認識に頼らざるを得ず、そこに主観も客観も無いからです デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と述べ、自己の存在を主観的には確信できるとしました しかし、この確信はあくまで主観の範囲内に留まり、客観的証明には至りません このように、哲学的なレベルでは自己の存在を客観的に証明することは不可能です とはいえ、実用的なレベルでは主観的な確信を持つことは可能だと思います それは、社会との相互フィードバックを通して「自己の存在証明」が徐々に醸成されていくからです 月並みな結論になってしまいますが、他者の言葉や行動を通じて自己を再確認するプロセスは、日常的な実存の中で重要な役割を果たしているのだと思います

「自分=自分の自我・魂」だとして、それが実在することを客観的に証明する方法はたくさんあります。 たとえば、CTスキャンしたり身体をぜんぶ解剖したり、沢口靖子みたいな科捜研の女が顕微鏡で覗いたり、NASAやJAXAが宇宙を調査したり、川口探検隊が世界中の奥地を探索するとか。 そして「自我・魂をついに発見しました~!!」となったら、「自分(自分の自我・魂)は実在する!!」を客観的に証明できます。 でも、今のところ、それが実在することを客観的に証明できるに至っておりません。 しかし、「自分=自分の身体」だとしたら、簡単に「実在する」を客観的に証明できます。 街を歩いてる人たちに"観察"してもらえばOKです。 それをお友達にデータ取ってもらえばOKです。 つまり、街ゆく人たちに「この人が(自分が)見えますか?」とたっくさん街頭質問すればOKです。 しかも、世界中のあちこちで、いろんな季節にいろんな時間に。 おそらく、みんな全員が「見えます!! 実在してます!!」と言ってくれると思いますので、そうなると「あなた(自分)が実在すること」が客観的に実証されたことになります。 でもでも、ひょっとして、どっかの国ではどっかの時間帯だけは「え? 何も見えませんけど。そこに何かいるんですか~?」となっちゃう可能性もゼロじゃありません(汗) そうなったら・・・、おそろしいことです。 お試し下さい。