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「道徳」って弱者が強者を妬み悪者にする為に生まれたのか 強者が弱者を管理するために反乱したり犯罪を犯さないように 洗脳するために生まれたのかどちらなんですか?

哲学、倫理 | 政治、社会問題71閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">50

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回答(5件)

どちらでもありません。 sinさん、この問いに答えられますか?「どうして人を殺しちゃいけないの?」 これこそが道徳の原点なんです。あなたを殺さないから、私を殺さないでください、という紳士協定です。殺人に限ったことではなく、私は盗まないからあなたも盗まないで下さい、あなたを侮辱しないから私を侮辱しないで下さい、と同じ論法でいくらでも出てきます。こうしてできてくる行為規範の先にあるのが法です。

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殺さななくても殺される事はあるし 殺人が法で裁かれるのは殺人が個人ではなく 国家にとって害なだけだからですよね? 法・軍・警察は権力を守るための暴力機構でしかないし そのためなら人民を弾圧して殺す事だってあるし そもそも国家って殺人によってまとまった集合体だし。

「道徳」は非民主主義政権が人民を統制するために生まれた統治技術です。 歴史は、中国周時代の孔子が唱えた「礼」に源流を持ち、この「礼」を臣下だけに強制し国王・上司・目上・年長者へのものとして整備したものが「道徳」です。 なお、統治技術に治安管理に対し刑法による強制管理がありますが、この場合は、警察機能のコストが膨大になる欠点があり、それで人民同士での相互牽制・監視をさせ、年長者・目上・上司に配下の管理責任を負わす方が安いとなって、「道徳」の重要性が説かれています。 日本では道徳心を説くもので、「悪事を人は見ていなくてもお天道様は天から見ているぞ、いつかは悪事はバレるからしてはいけない」とします。これ、中国ではすでに周時代に墨子が同じことを唱えて、刑法による強制管理の前に道徳で人民を教育して道徳心を持たせた上で治安管理を行う方が良いとしています。

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道徳の起源については、さまざまな視点があります。ニーチェの哲学では、道徳は弱者が強者を妬み、反発するために生まれたとされる一方で、強者が弱者を管理し、社会秩序を維持するための手段とも考えられます。道徳は社会の安定を図るための規範として機能し、個人の行動を制御する役割を果たします。したがって、道徳は単に一方の視点からのみ説明できるものではなく、社会全体の複雑な関係性を反映しています。

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道徳の起源や目的については様々な見方があります。 ・一つの見方は、道徳は社会の秩序を維持し、人々が平和に共存するためのルールとして生まれたというものです。強者が弱者を抑え込むためというよりは、お互いを尊重し合い、害を与えないようにするためのものと考えられています。 ・別の見方は、道徳は人間が生まれながらにして持っている良心や正義感から自然に生まれたものだと捉えています。強者や弱者を問わず、人間が持つ普遍的な価値観から導き出されたものです。 ・また、宗教的な見方では、道徳は神や絶対者から与えられた戒律であり、人間が従うべき規範だと考えられています。 このように道徳の起源には様々な解釈がありますが、現代社会では一般に、道徳は人間社会を円滑に機能させ、お互いの権利を守るためのものと捉えられています。強者や弱者を分け隔てるためのものではなく、人間性を尊重する上で重要な役割を果たしていると言えるでしょう。

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